u苦々しさ」云々について云っていて下さること。本当です。ああいう表白の心理的原因としてあげられている点は、その通りだったと思う。ああいう時期のああいう憤りは、単に作家対作家としての感情からだけでない面も大いにあるのだが、やっぱり今日ああいう風な表現の曲線をもたないだろうということを考えると、憤りの本質は全く正当であるが、感情の曲折の心理が焦燥をもっていたことが判る。
私はあなたがこういう点を、きょうの手紙で書いて下すって大変面白いと思う。自分で丁度別のことから同じ点にふれて考えていたところでしたから。私が腹立ちを感じたり、妙だと思ったりするのに、土台狂った目安ということはない。大抵の場合、そういうもの(原因)は客観的にあって、それをうけ入れないことは正しいのです。だが、そういう場合の私の感情の線は、必要以上にうねりを打ったり、敏感さに負けたりする。均衡を破る。何故そうかと云えば、ここに云われているとおり、本質の概括力が弱いところがあるからなのです。これはなかなか微妙、多様に影響致しますからね。
前の手紙で書き、又きょうのそちらからの話の中でもふれられているように、現代文学は来《こ》し方行く末の程も判らぬうねりの波間に、主観的必死のしがみつきを芸神として崇《あが》めているのだから、そういう雰囲気を生活人の意力、現実性で克服して、文学以前の人間的強健さを保ち、それにふさわしい文学を生み出してゆくということは、どうしてどうして。仇おろそかの努力では達し得ない。最も小さいよい努力をも評価してまめに心を働かせなければならないということは、一般にはとかく最低限をそれなり認めるという安易さにひきずりこまれ勝です。文学というものは、永い過去に於て所謂こころの姿に我から惚れているところがあるから、特にこの点は弱いと思う。
人間及び作家として、ある直感的な力をもっていること、それに従ってゆく力をももっていることは、自分としてありがたい一つのことだと思いますが、幸にして、そういう自然発生的なもちものの限界や、健康な内容づけの方向や方法やを知ることが出来るのは一層の幸福であり、生き甲斐であり、冥加《みょうが》と思う。
きょうから生活が又軌道にのりますから、読んだり書いたり、愉しく勤勉にやってゆきます。人間の性格というもの、それへの関係について考えたことがある。でもそれは次の手紙で。
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