スのしい期待も抱かせられたが。然し、読まないだって、と云われれば、それは又別ですが。これについては、私の方が「読んで見たのかい」と或一つの作品についての評価であなたから云われた場合があったから、五分五分ね(こういう表現を評して、返上辛辣とでも申しましょうか)。職業的ルポルタージュへの反撥が過重された評価の原因であるとはわかって居ました。
 謙虚についても履《は》きちがいはありませんから御安心下さい。自らを大切にし尊ぶことから生じる自重のみが謙虚への本道です。相対的に世俗的にへりくだることではないのだから。
 すこし話は傍き道に入りますが、例えば貞潔ということ、謙虚ということ、或は克己ということ、それらを世間では、貞潔が必然となるような愛の質の側から、謙虚が結果する自重、人間尊重の側から克己が来たされるより大な生活目的の達成の努力の側からよろこびをもって自然に説かないのは、全く可怪《おか》しいことですね。このことは何でもないようで何でもある。例えば、不屈性というものにしろ、行為の基準というものにしろ、その側からだけ称えられても、それをもち来す根本の一貫したものが、人間精髄としてその者の背骨を通っていなければ、安ぶしんの二階通りお神楽《かぐら》で、上にちょいとのっかっているだけで、すこしひどく吹きつけると忽ち木端微塵である。科学的精神の波の伝統のうすい日本では、情操としてまで、髄の髄の欲求としてまでそういう心持が浸透していない。理窟、或は現象分析機として或考えかたがちょいと頭にのっているが、胸の方はドタバタ、一向調子が揃っていないのが多い。将来の教育の方法への示唆になります。四五年来のぐるりを見て強くそう思っている次第です。文学において、人間性の尊重が痴愚への屈伏となっている所以です。
    ――○――
 就眠・起床、サッパリだったね、には閉口して居ります。サッパリだったかしら、いつもではなくても時折はかいたように思うけれども。計温は、では十月一杯つづけて見ましょう。この前も書いたように、ざっと二週間ぐらい、本月は十日を中心に七度一二分になっています。早ね早おきをはじめて一ヵ月すこしですから、或は十月、十一月にかけてはましになるかもしれず。体癖を知るためにと云われると、だってというよりどころがないから、これ又閉口しておとなしく云うことをきくしかなし。きょうあたりから、
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