やはり随分|揉《も》まれた、渦の真中に落ちた一つの小桶のように、ちゃんと底は下にして位置を保ってはいるのだが、随分キリキリまわされた、そういう風に十三日ごろ熱川で感じました。そう感じるだけ落着いて来たのでした。二十日に二月二十日ですし、私の誕生日をやっていつもの親密な顔ぶれで御飯をたべました。俊一さんはこの頃勤め人で朗かになっていた。鶴さんから呉れた春らしい菜の花(はタンスの上)と、桜草は机の上のこれをかいているむこうに咲いている。稲ちゃんは私が一昨年久しぶりで自分のお茶碗をつかえるようになったとき、さっぱりした藍で花を描いた茶碗とお湯呑《ゆのみ》をくれましたが、二十日もこんどは白いところに清々しくはあるが赤や金の入った蘭の花のお茶碗と、肥って丸い唐子《からこ》が子をとろ遊びをしている模様のお汁碗をくれました。そしたら栄さんがやっぱり唐子のついたお茶々わんをくれて、おまけにどうでしょう、私のふだん羽織の裏にやっぱり唐子がいっぱい遊んでいるの。尤もこの方は何年も前のではあるが。大笑いをしてしまった、何か私と連想があるのでしょう。だから来年はくりくりした這い這い人形によだれかけでも呉れるのかもしれないと笑いました。
いつかあなたが、私におくりものとしての言葉をやろうと思うが、豊富すぎて表現しにくいという意味を云っていらしたことがあった。私は私の希望するものをみんなあなたから頂くよろこびと、絶えず其等を貰っていて私がたっぷりしているというみのった感じと、事々に生活の感動をそこへ響き合わしてゆく心持とでは、充分に充分に輝やかしい迄に慾張りです。この点での私たちの慾張りは一つの人間的美にまで近づいている。こまかいものから大きく深いものに到る迄、私はあなたからとっている。この間もね、隆二さんにあなたから誕生日のおくりものとして熱川への小休みを貰ったと云ってやったら、本当にいいおくりものを貰ってよかったとよろこんでくれました。
ところできのうは本当に悲観してね。何しろ私が帰ったのは十六日で、二十日がすんだらお目にかかりに出かけようと思っていた。そうしたら二十一日に関鑑子さんのお父さんが亡くなられたことを知り、二十四日の御葬式の日までお通夜その他で暮しました。如来《ニョライ》氏は古い美術記者で、昔は林町の家の前の坂の中途に住んで居り私はユリちゃんと呼ばれている縁がある。中風に急
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