の深化のかくべからざる所以はいかに深く遠いかと思う。それについて最近一つ勉強したことがあり。いずれ別にお目にかけます。志賀直哉の「暗夜行路」後篇についてです。「二人の婦人」はオハナシね。壺井さんの「大根の葉」(文芸)好評で、稲子さんも私も鼻が高うございます。
九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十五日 第五十信
万歳! 万歳! いかにもうれしくて、明日の朝お話出来るときまで待たれない。糖はちっともありません。ちっともありませんよ、と調べたのを却って不思議そうに慶応の医者が云いました。糖が出ていやしまいかということは、どんなにかいやだった。菌が活動中というのよりいやだった。糖尿というのは、いやな、こわい病気ですよ、頭がメキメキと駄目になる病です。逆に、過労(脳の)からもかかる。記憶力はなくなる、根気はなくなる、文学的な本気の仕事は殆ど不可能になる(非常によく直さないと)私はこれ迄一番いやなのは気違い、それから糖尿。そう思っていた。自覚があるので辛いのは糖尿。その位おぞけをふるっていたのだから、試験管を八本抱えて、けさお目にかかっていて、決して平然ではなかったのです。だから、うれしい。念のために、又背中、胸よく見て貰いました。「今のところ異状はあると云えませんね」
つまり、自然な警告なわけです。私は、今度はこれ迄のように、夢中で何かやっていて、いきなり病気につかまったのではなく(肝臓のとき、盲腸のとき)ジリジリおどかされて、こんな気持は生れて初めてでした。おそれろ、おそれろということなのね、きっと。図にのるな、ということでしょう。
だから、早ねをして、早おきをして、秋の朝風の吹く原っぱを歩いて、あなたにお早うをして、そして、午後はすこしずつ勉強をやって(熱が出なくなってから)夜の客はことわって、すっかり体をつくり直します。朝おきの気持は、煙草のけむの匂わない部屋の空気のようなもので、身についたら、ねボウはいやで、きっとたまらなくなるのでしょう。
うれしいから、子供のように、心の中で、朝《あさア》とくおきよ、おきいでよ、という古風な歌の節をうたう程です。
けさ、智恵子さん[自注11]について、あなたが一寸お云いになった言葉、もし良さんがあの半言表現してくれる態度の人物であったら、智恵子さんは、同じ命が持てなくても、どれ程のよろこ
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