オて外に対して護っている心持、そんなことからさえ、或意味では庇が育つ。それと全く反対の日々夜々を考えると、貴方が忠言者と仰云る、そういうことさえ気づかず、おのずから流れるように或ものが自分に浸透することを考えると、(ここで考えられる理想化もあって、)なかなかに堪えがたき心地ぞする次第です。日常的な打ち合わせ、そういう程度ではない。
生活の形態の問題でないこと、自分の芸術家としてのリアリズムの問題であること。いろいろわかる。そして、貴方が一応わかるが云々というように使っていらっしゃる微妙な表現――まだ一分、或は二分が、何か本質的に疎通しきっていないという感覚から出る表現の価値を、非常に感覚上の同感をもって理解するわけです。
この解毒剤のせいで、私は大変すーっとして本当の落付いた勇気に満ちて居るから、どうかおよろこび下さい。この手紙だって、そういう一種の雨あがりの明るい静かな爽やかさが漂っているだろうと思います。
これから私は毎日午後すこし早めにそちらへ行って、かえって来てゆっくり休んで、夜は孜々《しし》として勉強します。楽しい心持です。そういう心持で、きのう省線の定期(半年)を買いました。こんど見せて上げましょうね。
「傑作」云々のこと。あの作はあの作として傑作だがという程度で稲ちゃんが云ったことです。おべっかとしてだけ云う人もあった時期だからと思いついて一言。褒められるという恥辱が存在することは判って居ります。
この手紙は、決してあなたの心に、一応わかったがね、という味はのこさぬものと信じます。われわれの生活の深いよろこびと感謝とをもって。
九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十一日(日) 第四十八信
きのう、目白で省線を下り、駅前の市場の中にある郵便局で早速中村善男[自注9]という名を電話帳で調べたが出ていない。恵風園という方でしらべたがやっぱり出ていない。では仕方がない、月曜慶応に行こう。そう思ってうちへかえって来ました。中野さんが来ると云っていたから、来ていまいかと急いだのだったが、来ない。茶の間でパンをたべ茶をのんで休んでいたが(二階のベッドで)段々じっとしていられない心持になった。自分がそんなに病気なのかしら――。どうも納得されない。一年でも二年でも会わず養生しなければならない。そんなことなんてあるもんか! そんな病
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