をもっていないという事実を、殆ど感じとして納得お出来になれない程のようですね。全くそれは無理ないかもしれません。あなたが物心おつきになってからはずっと激しい生活のつづきだったのですものね。この間島田からの手紙で書いたように、三十何年ぶりかなのだそうですもの。貴方にとって未知である条件が現在の島田の生活に生じている次第です。あの家の最悪の時期は一九三一年か二年、自動車を買う迄で、それからは二人の若い人たちが其々自分たちで車を使えることと、父上が御病気で、母さんが店を主としてやりくって手堅く内輪にやりつづけていらしたため、追々返済の時期に入り、昨年二月に大口の片が四年かかった揚句(交渉に)片づいてからは本年の四月を最後に全部かたがついたのだそうです。私たちの志もその役に些かは立ちましたそうです。今返すのは五十円ぐらいで折合うの一つだけだそうです。お父さんがそういう安心の裡で生涯をお終りになったということは、御当人のどんな安心であり又家のものの安心であるか、お母さんが、「おとうはんはフのええおひと」と仰云るわけがあるのです。ですからお母さんはお淋しいし生活も決して安心してはいられないながら、元から比べれば、これ程安気なことはなかったという現状でいらっしゃるのです。
店の肥料は田舎の経済事情の推移と、うちがかけとりの面倒さから貸をしないのとで本年などは、あの家はじまって以来の閑散さだそうです。トラックが毎日二つ一つは欠かさず仕事をしている。隆ちゃんが正月までやって、あとはお母さんのお手でやれる左官材料米塩タバコすこしの肥料という風にしていらっしゃれば、生活は少額の扶助料とともに、不安という程のことはおありなさいません。何とでもやって行くからこっちは心配しないでと仰云いますが、私たちの気持として何だかお母さんお一人放ってはおけないから多賀ちゃんの給料 \15 だけもつことにしたわけです。あなたはですから本当にそう可訝《けげん》そうになさらないでよいのです。貴方を安心させるために私がそんなことについて実際とちがう、よい面だけをとり立てていうようなことはあり得ないのですから。
今度は納得ゆきましたろうか。私が十五年も開成山に行かないでいるので庭から山々の宏大な眺望の代りに、放送局の塔を眺めることになると云われてもフウムと感服するが、どうも実感として来ない。きっとそうなのですね
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