ることにしました。夕方は下へ来て私の仕事の風呂タキをやります。それから夜は皆と喋る。そういう習慣にします。そしてゆっくり居ります。今はスノウをよんでいる。やりかけの仕事をおいて来たから。こっちでこれをよみ終るつもりです。四六一頁あるから丁度よい。ゆうべみんなで話していたとき貴方の小さかったときの話がしきりに出ました。貴方が小さくて、何かじぶくって泣くとお母さんが、もうやめいなと云うと、虫が泣かすんじゃああーんと泣いたという話、こういう伝説を御存知ですか? お祖母様が御秘蔵で、おおええええ顕治が泣くんじゃない虫が泣かすんだ、のうと仰云るのを覚えていて云ったのですって。私たちのように可愛がられて育った子供たちは、皆それぞれ伝説がありますね。私はあなたの赤坊のときの写真や小学生のときの写真や松山へ行っていたときの写真や、松山へはじめて行くとき着て行った絣《かすり》の着物まで知って居りますよ。絣のその着物は、今お母さんが召していらっしゃる。そして産衣《うぶぎ》の黄色いちりめんの袖まで見ている、いかがです? 私の赤いふりそでの産衣を見せて上げられないのは残念です。
下で隆ちゃんが体の動かせない人と思えない大声で何か喋っている。今年の麦はわやです。雨が苅入時に降り人手不足で、沢山が畑で黒くくさっています。昔裏の田をつくったことがあるのですってね。稲苅りなさいましたか? しめっぽいからお体を呉々大切に、本当にいろいろ着る物を送っておいてよかったと思って居ります。では又
六月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十五日 第二十九信 第三信(島田から)
西洋の人たちは白湯《さゆ》を飲まなかったかしら。――妙なことを考えるわけは、スノウが旅行して行って御馳走になる、鶏の丸煮、丸ムギのパン、キャベジ、ジャガイモ、粟、それを心からよろこんで食べたが、飲むものは熱い湯しかなく、死にそうにのどが干いたといいながら、それには手もふれられなかったと云っている。何と不自由なのだろうと考えて、そして思いかえしてみると、本当に白湯をのんでいるアメリカ人もイギリス人もロシア人も見たことはありませんでした。妙ね。気候の関係でしょうか。(下ではラジオが浪花節をやっている。)
一日のうち何時間、こうやって新鮮な意志の輝きや青春の真の美しさを吸いこむ読書は、何とうれしいでしょ
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