荷物である今日の文学のつづきをかきます。今、能動精神の文学の声がおこったところです。フランスのそういう時代のもっているものと、こっちのとを比べてなかなか意味深い。この仕事は十三四日に終らねばなりません。
 全く今年は沢山仕事をした。最も活動したものの一人です。しかし、今年の仕事ぶりは忘れることが出来なかろうと思う。歯をくいしばってやったところがあって。
 このごろは心にくつろぎが出来て、瑞々《みずみず》して、何しろ私のこれまでの一生に只一度もつけたことのない題をつける位ですから。来年はいろいろ仕事を整理して、評論風なものでは一つまとまって七八十枚のものを、あとは小説という風にやりたい。そして、いかにもそれがやれそうな気持です。芸術というものは一面刻薄であって、こっちが一生懸命でも心のゆとりなさなどは何か一つのマイナスとなって作品に出る、なかなかくやしいようなものです。オペラの唱い手曰ク、最も悲しいうたを最も悲しくうたえるときは、自分が一番丈夫で幸福な時だ、と。これは勿論そのままではないし、そうだとしたら、今日芸術の仕事を何人がやり得るかと言いたいところですが、それでも、今の心の状態の方が私としてよい。来年は質の更によい仕事をします。今年の暮、私はいそがしい仕事が終ったら出かけて行って、一組のおとそ[#「おとそ」に傍点]の道具を買うつもりです。或暮に、私はショールを巻きつけておとそ[#「おとそ」に傍点]の道具を買いに出かけ、いろいろ見て或ものは手に迄とって将《まさ》に買おうとしたが、どうしても心に買わせぬものがあって遂に買わず、複雑不思議な思いに深く沈んでかえったことがあった。
 今年は、それを買います。そして、それを買うことが実にたのしみで、うれしい。新しいおとその道具からあなたに注ぎ、私につぎ、そして親しい大事な友達に注ぐ。
 漱石の金剛草の話、私もその本はやはり面白く同様の印象でよみました。漱石の文学論、十七世紀英文学史、いずれも大事な只一つの鍵をおとしているだけ、そのことが今日明瞭に分るだけ、しっかりとしたもので面白い。英文学史なんか、ああ漱石が只もう二箇の「何故《ホワイ》?」を発してこの分析を深め得たら、と痛感した。狭いところにいて読んで。文学論にしろ、堅固周密な円形城壁のようだが、真中がスポンとぬけていて。すべての分析がそれぞれの線の上でだけ延ばされているから、簇生《そうせい》していて相互関係の動きと根本に統一がない。あなたのおっしゃるとおりの原因なことは明かです。
 あなたの時計は直って来て、この机の上にあります。金時計というのは、私は全く見なかった。賄のこと、まことに残念ですがまだ分りません。きょう島田からお手紙で、お金がつき、大変よろこんで下さり、よかったと思います。達治さん達も一層本気で働く気分を励まされていると仰云っています。よかったわね。光井の方へは、この暮は、冨美ちゃんへの本(『小公子』やその他)と何かお送りして、お金は来年三月です。
 あなたの腹巻きも、栄さんと新工夫したのをもうじきあめてお送り下さる由。今度のはきっとなさりよいでしょう。
 本月六日に、曾禰達蔵博士が八十六歳で急逝されました。私はお祖父さんに死なれたようで、その夜お挨拶に行ってお姿を見たら大変涙がこぼれました。この方の生涯のこまかいことは知らないが、長州萩の人の由。漢詩などをやる(文学のことでしょう)のが好きであったが、家が貧しくて給費生となるには当時(明治以前)工学でなければ駄目だった。それで工学をやるようになった、と述懐された由、長男は理学博士で物理です。お前は其故好きな勉強をしろといわれた由。
 事務所は十一月中に第二段の縮少をして、一月からは名儀も国男一人のものとなり、老人は隠退されることになっていました。国男もこれからは全く独力です。今の情況ですから建築は一般に困難です。
 明日ごろ、可笑しい虎の絵の手拭を送ります。色のついた虎、虎年ですから。壁の比較的よい装飾になりますから、お正月には古いのとかえておつかい下さい。タオルねまき、初めは幅がひろくすぎるかもしれませんが、こんどは洗ってもちぢまりません。普通に召せるでしょう。
 では猶々お大事に。この手紙は下旬につくのでしょうね。私はもう四五日のうちにお目にかかりにゆきますが、二十日すぎてから着くかと思うと何か一寸した言葉があげたい。一寸、胸のところに吊っておくような。
 many many good wishes という云いかたは、謂わば暖い掌で背中や肩を親しくたたくような表情ですね。では又。

 十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十二月二十五日夕方。第四十四信
 十二月十五日づけのお手紙ありがとう。それについてはかくとして、とにかくこの手紙がそち
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