u雪崩」を出したが、こういう現代の性格を扱うと破綻だらけでポーズが見えて、大衆小説というものが本質にいかに非芸術性を含んでいるかということの悲劇的典型に見える。しかし、由井などは筆もこまかく心理もそれなりにふれていて、筋の説明ぬきの飛躍、あまりの好都合等を許せばなかなか面白い。一面、世間師であり、それを自覚し、しかもそこでしか生きる点がないと思っている由井の心持など、少しは歩み入って描いていて、これと「雪崩」を比べると、大家にならんとする前の作者の脂ののりかたと、大家になって年経た後の気のゆるみ、金のたまり工合、いろいろ教訓になります。大仏という人は由井の扱いかたで一直線にゆくと或は純文学に入ってしまったかも知れない。彼の賢さがそこを引しめたから今日大家であるが、同時に引しめたところで芸術的発展の線の切先を下向せしめた。自分と世間がわかりすぎる、これが大仏の弱さです、芸術家としての。彼は遂に「上品で優雅な氏」で終るか。そして、日本文学史の上に私は実に面白く思うが、山本有三にしろ大仏にしろ、昭和五年から七年までの間に彼等の最優秀作の一つを出していることです。その理由を何処に見るでしょうか。私は面白くて仕方がない。自分がこの期間に文学の上で猛烈に自分を外面的に破壊したことを思い合わせ。文学における科学性の問題の史的展望についてこの頃この方面での勉強のテーマをもっている。では又。どうかこの次もきのうのようなあなたにお目にかかれるように。お大事に、お大事に。
九月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(演劇「アンナ・カレーニナ」の舞台写真の絵はがき)〕
九月二十一日、夜具をおいれしました。これは本月の新協のアンナ・カレーニナ。右端が原さんのドリイ。膝をついているのが細川ちか子のアンナです。カレーニンを滝沢がやっている。性格をちっともあの冷たい粘液質においてつかんでいない。演出は良吉。壺さん夫妻、いね、私、かえりには泉子さんを待ち合せて初日のお祝に新宿のむぎとろをたべました。御気分はいかが? きょうはむしあつかった。二十五日から夜更けの円タク流しがなくなるので不便です。
九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十四日 第三十二信
こういう紙に書くと、目方が重くて不便なので、普通の紙を買うまで待とうと思って居ました。ところが、今午後三時、二階の壁に向け、南を左にして斜《はす》かいの西日をカーテンで遮るようにした部屋の机のところに、全く快適な柔かい光線がさしている。ゆうべから、夜中にもおきて書きたかった手紙を、もう迚ものばして居られない。光線も、あたりの静かさも私の心にある熱もすべてが紙に私を吸いよせる。(何だか霊感的な手紙でもあるような勿体《もったい》ぶりかた!)
さて、御気分はいかが? 私の目にはこの間の御様子があざやかであるから、何だかあれからずっとあの調子でいらっしゃるように思えます。この手紙を御覧になってすこししたらまたお目にかかるわけです。私は十月の五六日までこれから死物狂いなの。小説です。文芸。『文芸』では長篇をずっと年四回ぐらいずつのせることにしました。私は云っているの、のせ切って御覧なさい、文芸は一つの功績をのこすから、そのように私もがんばってよいものにするからと。大体見とおしがついてうれしい。但金には殆どならない。今日長篇をのせ切るのは、結局文芸専門のものでしょう。仕事がまとまればよいとして考えて居ります。
この間お目にかかったとき、実は私一つ大変な秘密を抱いてひとりでホクついていたのです。自分から嬉しい一種の感動でつい口へ出しそうになったが、やっと辛抱してあなたのお誕生日の祝いまでそっとしておきました。先《せん》、お互に話していた名のことね。十月から本名に全部統一します。そのことを親しい連中にも話した。長篇が終って本にするときとも考えていたが、この長い大仕掛な仕事が終るまでと何故のばすのか、自分の心持に必然がなくなった。それでつまり十一月号の書いたものすべてから宮本百合子です。あなた又ユリバカとお笑いになるでしょう。でもこれは全く私の生活の感情のきわめて自然な流れかたなのだから、私は自分でもうれしく、特に私がこの半年の間に、いろいろの心持を歩んで、ここへ来ていることそのことがうれしい。だから今度はあなたからお断りをくっても、私はでもどうぞという工合なの。ですからどうぞ。私は結局はこれまでの年々に何かの形であなたのお誕生を記念して来た、その中で外見は一番形式的のようで、実質的なおくりものの出来たのは今年であると思います。そして、そのような可能を与えて下すったお礼を心から申します。仕事から云っても私はこういう成長に価していることの確信があります。私たちは字を書いたり、短い時間
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