竄ケたことだけに別に拘泥せず、熱が高くないことの方を寧ろプラスとして見るべきなのでしょうね。あなたの御努力も、そういうところに目立たぬながらやはり決定的な価値であらわれているのだと思いました。後姿はいかにも相変らずのあなたです。ちらりと見送り、おお何と珍しいと浴衣の肩をふって歩いていらっしゃる瞬間の印象を全心にうけた。だって何年ぶりでしょう※[#疑問符感嘆符、1−8−77] あなたの全身を動作の中で眺めたというのは。――
お話の本は、私は普通の図書目録だと勘ちがいしていて、それなら何かいろいろの目録でよいという風に考えていた。今日東京堂へ行って揃えてお送りします。
けさ、七月二十七日に書いて下さった手紙がテーブルの上にのっていた。きのうはいろいろくたびれて、夜は珍しく九時頃から床に横になり月を眺めながら、ひるまのいろいろのことを思ううちにうとうとと眠り、十二時頃目を一寸さまし、又暫く目をさましていてもう月は屋根のむこうに沈んだが、ベッドの中ですこし片側へよって、又いつか眠るまであなたとお喋りをした。時々撫でてあげながら。――
あなたのガクガク的調子をユリが悄気なかったかと思って下さること、ありがとう。悄気ることはなかろうという御想像は全く当っています。私はあなたに対しては私に向ってされるすべてからいつも最善の、そして、最愛の正当な理解をくみとるのをつとめてもいるし、お互の誠意の当然の結果として必ずそうあるのです。だからあなたの一つの笑顔さえ私にどんな意味をもつかお判りでしょう? ここが私たちの生活の実に基調です。
私がよく勉強している時ほど所産に対してハムブルだということ。私はあなたにハムブルでなく思わせたことがあったかと、極《きま》りわるい気がした。私たちの仕事の目標が、日常の現象的に対人的な比較の上に立てられて居らず、新しい文学的価値をもたらすために、自分の生涯の生活的芸術的全努力がどの程度までの寄与をし得るものかと考えて日々を送っているのだから、本質的に傲慢ではあり得ない。傲慢であることと、確信に充ち、自分たちの努力の方向の正当性を信じている生活態度とはおのずから別ですもの。根本的に私はゴーマン人間ではないわ。癇癪《かんしゃく》は起すが。そして軽蔑すべきものに対して軽蔑をかくし社交性を発揮することも出来ないけれども。どうか私が自分たちの希望している何分の一かでも価値のある成果をもつことが出来るよう、時々お目玉も大変にいいわ。
郵船のものや何かきのうお話した通りです。『ダイヤモンド』の何頁かをフームと眺めていらしたでしょう、可笑しい。お手紙のうち乾布と冷水をやっている、のあと、僕の石盤にも云々まで二行半真黒けよ。あなたのお手紙としては初めてです。それから、窓をあけて眠るのは、雨天や靄の濃い時はよくないそうです。シャボンはこれからずっとお送りします。匂いというものは神経を休めるから。神経の疲れたとき水でシャボンで手を丁寧に洗うのは大変よくききます。御存じかも知れないけれども。
お久さん、お久さん元気かねと来ているよと云ったら、おや、ありがとうございます大元気だとおっしゃって下さいましって。暑いので簡単な服を着て、鉢巻をして、なかなかユーモラスでやっています。あんまり足の裏を真黒にしているので熊の仔という名があります。信州の中農なので生活に対する気分が、気質的にはよいが、どこまでもしっかりしたということは望めず。雅子さんは一ヵ月体が悪いので休暇を貰って今保田にいます。稲子さん、戸台さんと皆あっちです。ユカタあと一二枚ほしいとこのお手紙にはあるけれども、きのうはもういいと云っていらしたわね。
きのう、本はおよみにならないのでしょうとおききしたのは、近頃の流行的作品なるものを少しずつ読んで頂きたいと思っていたからですが、勿論いそがず。
作品の評価の主観性の要求とはなかなか微妙な錯綜と混乱とを導き出しています。作品に社会性を求める必然は健全ですが、平凡な市民の日常的限界が作品の限界となりやすくそこに又経験主義的な危険がかくされている。婦人作家の昨今の暮しぶりもいろいろに分化して来ているし。では又。お体のことは決してくよくよはしません。でも、非常に本気なの癒そうとして。暑さをお大事に。
八月十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき二枚)〕
さっき手紙を書いてから東京堂へ出かけて、かねて御注文の図書総目録というのを調べました。あれは栗田書店から出ているので昭和八年版新しいのなしです。昭和八年以前の本を知るのにだけ役立つわけですが、どうしましょう。『出版年鑑』の十二年版はもう御覧になったのでしたろうか六月出版ですが。もし昭和八年以前の分でよかったら総目録をお送りいたしますが。(第一)
本郷の南江堂へ行っ
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