ト、しまって、こねているうちに結局私にのこるものは、生活態度について、貴方が私の可能性を認めた上で求めていらっしゃる水準のより高いところへの健全な激励だけです。
 あの手紙にたいする答えは、きょうお話したこともその一部分です。私の生活の経済的な面をこまかく書いたことはなかったけれども、一昨日、林町へ行って書類をしらべるまで、私はいろいろのことを知らなかったのです。去年の春かえってから、ことしの正月こっちへ越すまでは入院の費用やその他で、自分の分などの話も出さなかったし、こっちへ移ってからは大体四十円程、私のつかえる分としてもって来て、私はそれをあなたの分として、至って素朴な形でやっていたわけです。日常生活は稿料でやってきています。〔中略〕
 目の前に電燈の色が暑いので、昼光色をつけました。水色のような電球。これだと虫が来ないというが来ている。
 稲ちゃんは二十五日に子供たちをつれて、無理をして保田へゆきました。健造曰く「母チャン、どうしたって二十五日おくらしたら駄目だから。日記に、二十五日ホダへゆきましたってもう書いちゃったんだから」だって。
 栄さんは、妹さんが、あやうくインチキ結婚に引かかりそうになったので、そのこわしに出かけ、かえって来ました。もしかしたら又もう一度ゆくかもしれず、そうしたら壺井さんも行って一ヵ月あっちで暮す由。あのひとこのひと皆行ってしまって、私はお喋り相手がないわ。
 七月八月は映画も音楽もロクなのなし。仕事をして暮す。但し、この家は縁側がなくて、いきなり硝子戸なので、風は通るが落付かず。でも私は、あなたにたいしてこういうことは云えません。
 夏、腸をこわすと実にへばりますね。私はまだしっかりしない。あなたの方もなかなか照りつけるでしょうね。木蔭がないから。お体についても、私は緊めつけられるような、息の出ないような苦しい心痛からはもう自由になりました。しかし腸なんか敏感だから、そのためにも私は一層よい女房にならなければならない。愛情なんて、実に必要を見出してゆく直覚、努力、探求のようなものですね。人にたいしても人生にたいしても、決して空なものではないし。主観的なものでもない。愛しているという自分の感情をなめまわしているなんて、何て結局はエゴイストでしょう。(これは小説の中に考えていることとくっついているが)「海流」はチョロチョロ川がすこし幅をつけて来て、いろいろの錯綜もあらわれて来て、やや調子もでて来ました。面白いそうです。「雑沓」より進歩して来ているところもある。技術ではなく、現実に向う態度で、私はこの長篇を努力して書き終るとやっと小説における自身の今日の到達点を具体化できると信じ、本気です。
 きょうは何となく愉しい。私もこれで案外しおらしいのだから、どうぞ呉々もそのおつもりで。これから仕事。では又。もう九時だからねていらっしゃる刻限ですね。どの窓だろう。お大事に。

 七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 七月三十一日 午後 90゜[#「90゜」は縦中横]近いあつさ。第二十二信
 二十七日づけのおはがきを二十八日に拝見しました。この二三日じゅうにとりにゆきましょう。何だか今年の暑気は体にこたえること! その後いかがですか。私はもうおなかの工合も直って汗をふきふき仕事しているから御安心下さい。
 富雄さんのところから返事が来ましたから、又その内容をおつたえいたします。この間、あなたが両方が同じような気持だから云々と仰云って。まったくその通りで何だか苦しいわ。何故自分で自分の実際を私たちに語る正直さ信頼をもち得ないかと思って。島田がどうやらやれるようになったのは只管《ひたすら》野原のおかげであるのに云々。達ちゃんや隆ちゃんの献身をも青年同志の思いやりで見るべきだのに。
 さて、
(一)[#「(一)」は縦中横] 大正十年頃光井の土地六百坪及び家、信吉名儀となる。
(二)[#「(二)」は縦中横] 大正十二年一万五千円の頼母子。返掛六百円の中、島田四百九十円、光井百十円。光井はあと返掛せず。
(三)[#「(三)」は縦中横] 本年初め頼母子を整理し二千八百円の中(母さんのお手紙には三千円とあったようですね)野原千六百四十円。島田千百六十円。頼母子は消滅して、千六百四十円は光井の負債となる。他※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]舎其他を担保にして千七百十五円の負債。合計二千七百十五円也。
(四)[#「(四)」は縦中横] 整理方針、土地家屋の売却。価格約三千円。母屋をとりのこすためには約千円位調達の必要あり。
(五)[#「(五)」は縦中横] 信吉の主人格である周防村の大地主山口彦一に、千百円の負債あり。信吉と富雄の名。
(六)[#「(六)」は縦中横] 光井の家は本年一杯で整理。母屋を
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