黷ヘ信用し得るそうです。
富雄さんは広島へ帰るのをいそいでいるが、伯母さんや冨美子はこっちの整理つき次第広島にうつるでしょう。克子は大阪の、こっちのお母さんの従弟とかの家にここ三四年行って働いて居り、又そこにかえりそこから結婚の心配もして貰う方針です。多賀子は未定ですがここに手つだってやはり身の振方をつけていただく方がよいかと考えます。お母さんもそのお考えで、冨美子は出来るから師範に入れるプランであった。それはその方がよい。富雄の生活は確実性がないから。未だ申しませんが、伯父さんの御厚情を考えて、私たちは冨美子の学資を何とか助けてやりたいと思って居ります。たとえ少々でも。貴方も御賛成でしょう。十四日にあっちの若い人々が来ます。又いろいろ話しましょう。そして、私は十五日に立ちたいと思って居ります。
父上はずっと平静でいらっしゃるから御安心下さい。尿も血がなくなり量も殖えましたから。
四月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十三日 島田。
さっき書いた手紙を出して貰い、寝台券をとって貰いました。十五日に立つことに決定しました。
昨夕は御葬式がすんでから(こっちの家でそれは負担なさいました)克子、多賀子、達治、私、座敷でいろいろ話した。玄関から台所の方はずっと襖をとり払って大広間とされて居り、近所の人々が酒もりをしている。その声が中庭越しにきこえる。裏へは急造りのカマドが二つ出来ていて、湯殿の前のところへ台を出し、附近の子供が二十人近く石ころ、レンガ、薪をこしかけにして御飯をよばれている。おっかさんたちが手伝いに来ているからでしょう。
話しているところへ伯母さんも来られ、私がつくという話がわかったら、伯父さん一方ならないおよろこびで、島田の二階の方はさむいが、炭とりがないから一つこれをかしてやろう。花も好きだが、あっちにはないからこれを、と、わざわざ炭とりと花瓶とを運んで下さったのだそうです。私はそうとは知らなかったが、この炭とりには重宝して、本当に伯父さんがおっしゃった通り、そこから炭をついで一寸した書きものをしたりいたしました。花瓶も、お母さんがただ野原からくりゃりましたとおっしゃったが、私を歓迎のためとは知りませんでした。どこまでも伯父さまのやりかたですね。
それからあっちへ遊びに行ったとき、私はあなたがおっしゃったこ
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