に連関しての問題を我々に与え大いに愉快でした。栖鳳本年は何匹も家鴨《あひる》の子が遊んでいるところを描き、(二双屏風)金の箔が地一杯にとばしてある。久米正雄、七十歳の栖鳳が老境で若さを愛す心持流露していると、うまい批評をしたが、金箔のことについては効果上あるがよいかないがよいかと書いていた。私達三人の結論は、この画に金箔は重要な画面の一つの支え重厚な一要素となっているのであって家鴨だけであったら決して効果は出ないし、弱くなるし破綻を生じることを観破しました。栖鳳の画の価を考え、それをつりあげたからくりなど考えると虫がすかぬが、この老爺相当のものである。自身の芸術の弱い部分を賢くプラスに転化させる大なる才覚と胆力とを有している。これはやはり相当なものです。久米の芸術境が批評にあらわれ、栖鳳フフンと思ったであろう。いずれエハガキをお目にかけましょう。きのうは何しろ30[#「30」は縦中横]銭だったので。
清方は鰯《いわし》という題の小さいものであるが、一葉の小説の情景です。溝板カタカタと踏みならして云々。長屋の水口でおかみさんが魚屋と云ってもぼてふりから鰯を買っているところ、水口の描写、[#図2、「のり」に丸囲みの手書き文字。「り」は小さく頭の部分が「の」の下隙間に入る]と書いた札の下っている隣家の様子、なかなかリアリスティックなのですが、中心になるおかみさんがこの家のおかみとして※[#「藹」の「言」に代えて「月」」、第3水準1−91−26]《ろう》たけていすぎるのです。「一言に云えば背がすらりとしていすぎるんだよ」稲公の言。それ者あがりとしても生活が滲みついていず、「築地」の絵(知っていらっしゃったかしら。中年のいかにも粋な女が黒ちりめんの羽織で一寸しなをして立っているところ)が浮いていて、甘く且つ通俗になっている。清方の通俗性、插画性は、或マンネリスムの美の内容にある。随筆などにもこれは出ている。いつも情景を鏡花、一葉、荷風、万太郎で。これもお目にかけましょう。
荷風の「※[#「さんずい+墨」、第3水準1−87−25]東綺譚」は本年中の傑作と云われています。それについてハイと云えるところと云えぬところとある。すこし彼の作品をよみ、いろいろ感想もあるが、私はふと里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]と比較して見て面白く思いました。※[#「弓+享」、第3水準
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