ャ春日和。
 きのう野原からは夜八時半頃かえりました。皆よろこんでいて、くれぐれあなたによろしくとのことでした。今あの家には小母さんと冨美ちゃんと河村さん(小母さんの弟さん)とその姪という方とです。河村さんは下松《くだまつ》の方につとめ口が出来て、あっちに家が見つかり次第ゆく由。下松は借家払底で、一畳一円で家がないそうです。河村さん、あなたのお体について心配していました。くれぐれもお大事にと。
 野原の小母さんは家がのこるので本当におよろこびです。私たちもよかったと思います。小母さん曰く、いつか二人でかえって来てくれてもとめるところがあってうれしい、と。ハモ[#「ハモ」に傍点]の御馳走になったりしてお墓詣りをして、かえりに切符をかって来たら、お母さん、もし都合がついたら琴平さん[自注19]へ詣でて来たいというお話です。来年の秋でもゆっくりおともしましょうと話していたのですが、もし達ちゃんが召集されでもしたらというお気持もあるので、急にお思い立ちになったのでしょう。今時間表をしらべているところです。
 お母さんも永年のお疲れで、この間腎盂炎をおやりになってから、すっかり御全快ではなく、台所の仕事などでも過労をなさるといけない御様子です。今は多賀ちゃんが手つだっているから大丈夫ですが、きのうも野原へ行って、すっかり多賀ちゃんに手伝って貰うようよくたのんでおきました。
 春からみると何か全体がしずかになっている。お母さんは余りこれまで御丈夫でなかったし、御無理だったから、すこしこの際お労《いたわ》りになる方がよいのです。そちらもこんなにいい天気でしょうか。どうかお元気に。若い連中も元気にやって居りますから何よりです。では又。

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[自注18]河村さん――島田の宮本の家の向いの一家で、病父がその人のリヤカーにのせてもらって相撲や芝居見物に行ったこともある。
[自注19]琴平さん――讚岐の琴平神宮。
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 十月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(琴平名所の金比羅高台より讚岐富士を望む絵はがき)〕

 十月十二日。こういう景色が山の頂上から見晴せるわけだったのですが、雨で濛々《もうもう》。平野の上にもくり、もくりと山が立っている、この地方の眺めは或特色があります。屋根を藁《わら》でふいている、その葺きかたが柔かくて特別な線
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