蝠マ抽象的だがお分りになるでしょう。とにかくあらわれた形はどうあろうと我々の生活の成長のためにこそ活用されるべきなのは云わずとものことなのだから。
 私の盲腸何とうるさい奴でしょう。此奴《こいつ》のために、私の休養の形は安静、床に休むことになって来る。おなかの右下四分の一にだけ邪魔ものがいる。きのうきょう、これがバッコしているのです。今月のうちに科学と文学のこと(科学ペン)婦人作家の今日(文芸復興)この間ハガキに一寸書いたブルムの結婚観の批判(婦公)をかき来月から又すこし沢山小説をかきます。ではどうかお大事に。

 八月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(絵はがき二枚 小田原海岸(一)[#「(一)」は縦中横]と小田原駅(二)[#「(二)」は縦中横])〕

(一)[#「(一)」は縦中横]八月二十八日午後二時すぎ。
 国府津へこの頃通用するようになった全国速達で原稿を出しに来たついでにバスで小田原まで来ました。この駅の右手にコウズのあの茶屋が大きい店を出している、そこで今御飯をたべようとしている、赤く塗った椅子その他、箱根気分のところです。国府津からバス20[#「20」は縦中横]銭。出征送るのでとても大混雑です。

 八月二十八日(二)[#「(二)」は縦中横] 小田原の御幸ヶ浜に遠い親類のやっている宿屋があって子供のうちよくそこへ来ました。ある正月、チリメンの長い袂のきものを着てこの浜の波打ぎわの砂丘に腰かけていたらいきなり砂がくずれて波の中におっこちて本当に本当に死んだと思ったことがあった。大体ここも海は荒くて入れません。この食堂の隅に老夫婦居り父母を思い出します。

[#次の手紙は「遺書」として書かれ投函されなかった。底本では第十九巻の巻末に収録]
 一九三七年八月二十九日

 一九三七年八月二十九日 日曜日 晴
   顕治様  国府津。

 きょうは、爽やかな風がヴェランダの方から吹いて来ている。セミの声が松の木でする。海の方から子供らが水遊びをしているさわぎの声が活々と賑やかにきこえる。――平凡な午後です。
 私は今日書こうと思っていた仕事がすこし先へくりのばされたので、長テーブルの前で風に吹かれつつ、この空気を貴方に吸わして上げたいと沁々思いながら、裏から切って来たダリアの花を眺めているうち、ああ、きょう、あの手紙を書こうと思い立って、これを書きはじめ
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