緕メにかかって病気のつらさが分ったと仰云っていらっしゃいます。今私が盲腸のために飲んでいる漢薬の医者へハガキをかいて、腎ウ炎の余後のためによい薬を送って貰うことにしました。それをすぐお送りしましょう。
 達治さんが召集されるかもしれないと御心配です。無理ないと思います。隆ちゃんはもう六ヵ月で入営ですからね。もし達ちゃんがいなくなれば、うちは運転手をやとわねばなりますまい。経済的にそれではキャンセルしかないのですが。一般的な困難がきわめて具体的に一つのわれわれの家庭に反映して来ているわけです。万一そういうことになれば、私たちとして何か些かでも考えることはありますからよいけれども、ねえ。
 林町では国男が盲腸手術後の脱腸(ヘルニア)になって又手術すると云っています。二三日うちにやるらしい。寿江はこの頃近所のアパートに大体落付いて、昼飯や夕飯をよく一緒にたべます。
 Sさんという元からの看護婦が池袋の堀の内にいて殆ど毎日来てくれ、寿江のインシュリンの注射をしてくれる。この頃寿江子は英語の勉強をはじめ、性格にしっかりしたつよいところもあるのに結局はどっちつかずで、人生の評価の土台がない。二十三の女の子というのはこういうのかしらと昨夜も感じました。この位いい素質をもっているのに推進力としての情熱が足りない。体が弱いことに帰しているけれども、それは間違いです。もし体が丈夫でなければよい生き方が出来ないのなら、私たちなんか、年々歳々どこから生活に対するこのような愛や信を獲て来るのでしょう。今岩波文庫のスティブンソンの「若い人々のために」というのを一寸よんでいて、この人が、あんな体で海洋の孤島に生活してしかもどんな人生の見かたをしていたか分って、大変面白い。
 勿論歴史的な違いはあるにしろ。いつか去年あたり私が手紙で書いた情熱と感情《センチメント》のちがいをやっぱりこの人も知っている、さすがであるとニヤリとしました。そして曰く「信は厳粛な経験をつんだ、しかし微笑んでいる大人である。油断なき信は、私達の人生と境遇の横暴とに関する経験の上に築かれる。信は必ず失敗を見込み、名誉ある敗北を一種の勝利と見做《みな》す云々」スティブンソンの「宝島」やなんかを私たちは面白がらないのだが、そういうものを書かせた――自分の条件を最大に活かして――彼の生きる気持には面白いところがあります。精神の活々と
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