ぬ有様なのだから。すべて充実したもの、生粋なるもの、自然力でもそういう発現をする場合、常にどっちかというと単純なような形であらわれ、しかも云いつくされぬ美にみちている。人間も、この美に精神を鼓舞されるには、出来あいの生きかたでは駄目であるから、私はつい自分を幸福な者の一人に数える次第です。こちらはまだ蚊帳はつりません。そちらは? 太郎はこの頃ニャーニャという言葉を覚えました。ではおやすみなさい。又書きます。
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[自注2]第一信――公判後、百合子からの第一信。
[自注3]心苦しく思います――一年二ヵ月ぶりに面会して、宮本への差入れ状態が非常にわるかったことがわかった。一月三十日に中條の父が死去したとき、顕治は弔電をうつ金さえもっていなかった。百合子が市ヶ谷の女囚の面会所で家のものに会うたびに、あっちは大丈夫かしら。ちゃんとしている? ときいたとき、百合子のきいた返事は、いつも、ええ大丈夫。御安心なさい。ちゃんとしていてよ、という返事と笑顔だった。
しかし現実では、顕治は不如意のために疲労していた体の栄養補給ができず、結核を発病した。
[自注4]クリムサムギンのおじいさん――百合子はマクシム・ゴーリキーの伝記を書こうとしていた。
[自注5]去年も一昨年もひどい夏でした――一九三四年の夏は二人とも留置場生活中であった。一九三五年の夏はまた百合子が留置場生活であった。
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七月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(陳清※[#「汾」の「刀」に代えて「一/刀」、60−15]筆「榕園」の絵はがき)〕
七月九日。きょうのおかゆはどうでしたろう? かたくなかったかしら。どうか食欲をうまく保つよう御工夫下さい。スープは栄養よりもアッペタイトを刺戟するのでよいのだそうだけれども。ゆっくり手紙が書きたいけれども、私はまだ仕事が一しきり片づいていないので、このハガキで間に合わせます。テッちゃんが会いたがって、きょうも手紙をくれました。近々出かけます。お父さんの椅子も買いに出かけますが、一度島田へきいてあげましょう。坐椅子をかってあげたのでもしかしたら其によりかかっていらっしゃるのかもしれないから。この支那の人の絵の色彩、生活感、面白いでしょう。今の時候で見ると大変暑苦しいようであるがなかなか濃厚で面白い、但この作品で画家は極めて自然発生的に自身のもちものを出しているだけですが。今私はゴーリキイと知識人とのこと、又女のこと等面白い研究をかいています。
七月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月十五日の夜。第二信。
毎日よく降りました。お体はいかがでしょうか。しめっぽくて、皮膚もさっぱりせず、心持おわるかったでしょう? お風呂に入れないとその点こまります。アルコールを貰って水にわって体を拭くことは出来ないものでしょうか。
私は今月の初めからずっときのうまで非常に忙しく沢山勉強もしたし、自身で堪能するだけ書くものにしろ深めたものを書いたので、読んでいただけないのがまことに残念です。そのためについ手紙がおそくなった次第です。体も疲れると心臓が苦しいので氷嚢を当てますが、それ程疲れなければ平気であるし大体私は夏は精神活動も活溌だから、近々に又小さい家をもって、今度は誰か家のことをしてくれるひとを見つけて、単純に、しかも充実した美しい生活をやるつもりです。
今、国男たちが、階下の食堂で盛に家のプランについて喋っている声がする。この家は御承知の通りダラダラと大きくて生活に不便であるので、この連中は小ぢんまりとしたものをこしらえ直して暮そうという計画なのです。
私が病院から帰って来た時分、スエ子は是非私と住みたい心持で、私もそれはやむを得まいと思って居りましたが、この頃ではスエ子が自身の職業をもつ条件や何かでやっぱり国男たちと暮し、後には一本立ちになるプランに変更です。だから私は私で自分の一番よいと思う暮しかたをすればよくなったので大変楽です。去年の六月頃詩人[自注6]である良人に死別した女のひとで、おひささんというおとなしい人がいるのでもしかしたらそのひとに家のことを見て貰うかもしれません、それが好都合にゆけば私は殆ど幸福というに近い暮しが出来るのですが――私の条件としてはね。この頃私は仕事というか文学についての勉強心というか猛烈であって、女学生のようです。愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》日常を単純にしようと思うの。生活の様々な経験はそういうためにいつしか大変私のためになっているのが愉快です。そのために時間や精力を費すべきものとそうでないものとの区別がはっきり感情の上でしていて。田村俊子さんがアメリカからかえって来て、この間の雨の日、浦和の田舎の名物の鯉こくをいろんなひとと食べにゆき、いろいろ話し、大変面白く感じました。ゴーリキイの小説の中に「アアあの奥さんは、蚊に生きることを邪魔されている」という文句があったが、本当にそういうひともあるのですね、そのことを面白く思いました。「私蚊なんかいたら死んじゃうよ」そういうの。二十年アメリカの移民の間に暮しても尚そういう感情であるというのは、他の一面の熱っぽいところ、ものに正面から当って行こうとするところとひどい矛盾であって、その矛盾は滑稽に近いものとなっていることが分っていない。――大変面白いのです。人間観察としてね。
さっき良吉さんが芝居につかうアコーディオン(手風琴の進化したもの)のことで急に来て、いろいろ話しました。面白い本を翻訳しました。小説ですが、活動の結果手も足も失い目さえ見えなくなった二十四歳の青年が、自分の文学でまだ役に立とうとして書いたものです。感動的なものです。その前にはスエ子の誕生祝に三越へ行って硝子《ガラス》製の奇麗《きれい》な丸いボンボンいれを買ってやりました。やすいもの、だがいい趣味のもの。この頃の硝子製造が発達して芸術的なものの出来ているには驚きます。その前日には、疲れているのに無理であったが北極探険隊の遭難とその救助とモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の歓迎との実写映画を見てまだ生きていたゴーリキイがスタンドで感動し涙をハンケチで拭いている情景を見ました。五十銭です。何というやすいことでしょう。きょう『日本経済年報24[#「24」は縦中横]』を送ります。それから今にアルプスの雪景のドイツ版の写真帳を送ります。チンダルの『アルプス紀行』はもうおよみになりましたか。お気に入りましたか? 私は写真で涼ましてあげたいと思うのです。この花の匂いは庭の白いくちなし[#「くちなし」に傍点]。匂います? 今晩封じこめておいてあしたの朝とり出して送るのですが。
第二信のうち。七月十六日の夜
きょうは何と暑かったでしょう。この頃熱はいかがな工合でしょうかしら。却って暑ければ暑いなりに気候が定った方がしのぎよいでしょう。今九時半頃。庭の樹の間に灯をつけ、提灯を下げ、スエ子が歌をうたっている。私は二階でこれを書いているのですが、きょうは珍しいことが二つあったのでこの付録を足すことになりました。太郎が生れてはじめて動物園にゆきました。そしてあざらし[#「あざらし」に傍点]が大層気に入って、かわゆがったそうです。熊は遠いところから見るのだし、お猿はチョコマカしていやで、象は、こっちを向くと少しこわいのですって。あっちを向いていると安心でうれしがった由。私は太郎親子と一つ車で上野まで廻って其から、あなたのところへ出かけ、久しぶりでテッちゃんに会いました。髪がすっかりぬけて薄くなっているの。でも丈夫そうで澄んで大きいいい眼付をしていて、やっぱり何だか要領を得ずニコニコしている顔は雄弁に感情を語るのだが、口の方は一向駄目で、変に隅によっかかったような恰好をして、本当にあの人らしいと云ったら! 大笑いです。私は二十三日にお目にかかりにゆきます。何か特別な支障のない限り。
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[自注6]詩人――プロレタリア詩人、今野大力。『戦旗』とプロレタリア文化連盟関係の出版物編輯発行のために献身的な努力をした。共産党員。一九三二年の文化団体に対する弾圧当時、駒込署に検挙され、拷問のビンタのために中耳炎を起し危篤におちいった。のち、地下活動中過労のため結核になって中野療養所で死去した。百合子の「小祝の一家」壺井栄「廊下」等は今野大力の一家の生活から取材されている。
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七月十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月十九日 日曜日 午後四時 第三信
蝉《せみ》の声がしている。ピアノの音がしている。
二階に上って来て手摺から見下したら大きい青桐の木の下に数年前父が夕涼みのために買った竹の床机が出ていて、そこに太郎がおやつ[#「おやつ」に傍点]のビスケットをたべている。わきに国男が白い浴衣姿でしゃがんで、黒豆という名の黒い善良な犬が尻尾をふっている。太郎に私が上から「太郎ちゃん、ワンワンにおかし、はいって!」と云ったら、Sさんというスエ子の注射のために来ている看護婦が「おやりになってるもんだから味をしめて動かないんです」と笑っている。太郎は自分の手からビスケットをやってなめられて、アウとうなっている。「犬のよだれ[#「よだれ」に傍点]はきたなくないことよ、お兄様」「そうかい」そんな会話。日曜日らしいでしょう?
私はきょう下の食堂へ来ていたあなたからのお手紙を声を出して家じゅうのものによんできかせました。そして、どう? 〓〓〓何て云いわけをして上げる? ときつ問しました。というのは、私は家であなたが御心配下すったとは全く逆の位置にあるからです。真面目な話。私は大切にされているが、其はいろんな心配を相談出来るからというとり得のためなのです。そして私はもうこういう種類の心労は大変疲れたから、早く自分の単純で書生らしい生活に戻りたいと願っているところなの。
この前の手紙で申し上たような有様、更に現実はあれより複雑故、一番広い視野で先を見通すものが、こういう中では疲れ、そしてあるところでそのものとしての限度を見出し、それ以上の力こぶは入れても事情は改善されぬと見きわめないと徒らな精力を消耗するのです。叱れるうちはまだよいというのは本当の言葉よ。叱ったって仕方がない、わるい[#「わるい」に傍点]と云うのではないがどうも何とも仕様がない、そういうのは大変困るものです。そういう生活に対して或レン憫《びん》が感じられる場合こちらの心持は楽でないところがある。家じゅうで今は私が一番年上なのですもの。いろいろこれまでと違う経験をして居ります。大事にしすぎて昔風のお嬢さん風邪を引くことがないとも限らない等と! 温室の空気などと! おお。私は重い睡い空気と何とか新鮮な人間の生きるにふさわしいオゾーンを発生させようと夜もひるも動いている小さい丸いダイナモなのに※[#感嘆符二つ、1−8−75] あなたの手紙は私を笑わせ、そして愛情のふかい怒った心持も起させ、ゲンコをその鼻先にこすりつけて上げたいと思わせます。おお。本当にぶって上げたい。
坐布団は見つかりました。半ズボンは急に一つともかくお送りしました。きょうの夜夏のかけぶとんが出来るからお送りいたします。私はゴーリキイ研究を一冊にして出版することになったので八月中旬までそのために大勉強です。この仕事は一昨年の冬書いたバルザック研究等とまた違った意味でいかにも私らしいものであり、自身のためにも――作家的発展のためにも大変よいものです。『改造』八月に四十余枚書いたのはこれまでの研究――国際的な範囲で――が特にとりあげてはいない面――ああいう出身の一作家の発展とインテリゲンツィアとの相関関係を見きわめようとしたものであり、十分の自信があります。トルストイ、チェホフ、ツルゲーネフ等と婦人を描く点において彼はどう違ったかという点、それは『文学評論』に書き、彼の初期のロマンチシズムがもっていた歴史的意味について
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