盲腸のことを御存知ない。お体の方は順でしょうか。第一に、私は六日頃からベッドとデスクと四尺ばかりのところを動いて仕事をはじめ、十一日の朝終りました。あなたが手紙で、もう今頃は一区切りがついてよろこんでいるだろうと仰云ったのは一日だけ早かったわけでした。盲腸は軽くて今もうおかゆですが、冷やした結果、肝臓が痛み出して、只今では盲腸はケロリとしてむしろ肝ゾーが痛い。短い上下の間に、全然反対の療法のいるものがかち合って可笑しいことになりました。いよいよ、盲腸をとってしまう必要あり。これは来年の仕事です。
 ともかく仕事がやれる程度であったことは大助りでした。仕事の結果は、何しろうんと長いものの登場ですから、ヨーロッパ旅行の途中神戸へついたようなものです。その部分としては満足です。じっと先の方を見てゆっくり歩いている、そんな風。そしてこの仕事では一晩も徹夜をしませんでした。これはどうかほめて下さい。今度の経験で、いわゆる病弱なものの時間上の得というようなことを感じ、苦笑ものです。私の希望しているような生活的な、表現の健康なシムフォニックなものがつくられそうです。発端にその可能があらわれていると信じます。
 旧《ふる》い小説集というか、短編集、その他あります。入れて見ましょうか? あなたのおっしゃる前期的作品ですが。前期といえば「小祝の一家」も或意味で前期です。「乳房」は一つの過渡でした。「雑沓」に至るまでの。
 全集目録は明日お送りいたします。「どてら」はおうけとりになったでしょう? 中野さんが大島へ行ったとは知らなかった。只今鑑子さんから電報とお手紙のお礼が来ました。池田さん、あのお手紙の言葉を見たらきっとうれしいでしょう。
 作家生活というものの複雑であり興味ある点は、或種の作家、そしてその作家が一定の到達点にあってそのレベル内で十分活動する社会の事情があると十年の間に漱石、芥川のように相当の仕事をするものですね。そのことはなかなか観察すべきです。彼等は、其々、自分の持っているものの中で働いて、生涯を終った。旧いもちものを脱ぎすてて新しいみのりへまで動く必然を感じず(漱石)感じてもそれを放棄の形で肯定した(芥川)。
 作家が永い生涯の間で何度発展をとげるか、そしてその時にどの位作品をのこしてゆくか、これは大なる研究に値し、作家必死[#「死」に「ママ」の注記]の事柄です。「
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