宛 駒込林町より(封書)〕
二十六日の夜。九時 第一信[自注2]
今、二階の北の長四畳の勉強部屋でこれを書きはじめようとしていたら、太郎がアァアァアとかけ声をかけながら、一段ずつ階段を登って来て私の膝にのり、しばらく色鉛筆でモジャモジャとやってから、となりの広間の大きい写真の前へゆき、さかんに「おじいちゃまにこーんちヮ」をやっているところです。
二十四日には、本当に本当に久しぶりでした。あまりいろいろ激しい生活の変化がこの一ヵ年間に生じたので、かえって何も申せませんでした。私は慶応病院に三月下旬から一ヵ月入院していた間に、あとになってお目にかけようと思って、毎日暇なときにポツポツ手紙のようなものを書いたのですが、時がたつとそれもやっぱり手紙としての役に立たないことがわかりました。
とにかく、私の顔と声と眼の艶を御覧になり、あなたはきっと安心して下すっただろうと信じます。そしてわたし自身も深い安心を感じます。私は昔、あなたにユリはお嬢さんだから云々という言葉をいただいて以来、私のあらゆることであなたが心配して下さるということ――心配をあなたにかけなければならないものとしての自分を感じる必要のないものとして生きようとする習慣で暮していたし、あなたについても下らない心配は一切しない覚悟をきめていたので、私の体についても私が安心している間はあなたも安心していらっしゃるという風な感じかたでこの一ヵ年は暮したわけでした。でも私は変に気を揉《も》まないのはよいが、あなたに思ったよりずっとひどい不自由をもさせていたことがお会いしてわかり、心苦しく思います[自注3]。これからお互に一生懸命にその時分の不如意から生じた病気を癒《なお》しましょう。きっと癒ります。ある安定を見出せば、そこで全身の調和が生じ、あなたの一等の健康水準ではないまでも、低下したら、したなりに安定しましょう。
気分はやっぱりあなたらしくゆったりしていらっしゃるからほんとうにうれしく存じます。大事にして下さい。ごたごたいうに及ばないことは実によく分っているのですけれども。文学の仕事についても、生活法についても御安心下さい。私が最近に経た鍛錬は、一人の私のような生き方をしてきた作家には、十分の価値をもって摂取されるものですし、ずいぶん無駄なく勉強もしたし、着々と作品の計画もたてはじめて居ります。私はやっぱ
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