おって起きて歩けるようになったら全く仕事をしないなどということは出来ないから、仕事を持ってでも栄さんとどっかの温泉へでもゆきたいと思って居ります。こんなにへばったのは何年にもないことでした。四月に慶応に入院していた時より弱った。まだ臥床。おカユ。食欲が出ないでいけません。私はどんなに参ってもすぐ食欲は恢復したのに、癪《しゃく》ね。今日は私は癒る確信がつきました。御安心下さい。本当はね。笑い草ですが、余り頭が苦しくて昏々《こんこん》と眠るからね、もしかしたらこの頃流行の嗜眠性脳炎ではないかと思って、もしそういう疑いがあれば正気なうちにあなたに手紙を書いて置こうと思ったの。書くと云ったって結局今の私の心持で何も特別なことはないわけですが。どこを区切りにしたって違った色の血は私の体の中を流れて居はしないのだから、ね。
あなたの方の御工合はいかがですか。すこしはましになりましたか? 私は病気になったりしたのを恥しく思う心持があります。勿論過労からであったにしろ。やっぱり自分の健康の事情を十分理解しないで熱中したりした思慮の不足がある。
久しく途切れたからこれを書き今日はこの位でもう出します。この頃は時候がわるいらしいから呉々お大事に。こんな空を見て臥《ね》ているのは残念ですね。
九月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(山下新太郎筆「東山と萩」の絵はがき)〕
九月七日夜。今夜八日ぶりでお湯をつかい、お茶をのみに食堂へ来てこれを書きます。私の体、御心配をかけましたが、単純な疲労が重ってひどくこの残暑でやられたらしいのです。ひどく汗が出て出て、皆に、お前がたこんなに汗が出るかと訊いていたうちに疲れを重ねて居たのだったらしい様子です。御飯もきょうからたべます。背中の痛いのもすこしましになりました。栄さんがよく来て電気をかけてくれます。きょうは稲ちゃんも見舞いに来てくれ、ゆっくり休むよう呉々も云ってくれました。どうかそちらでもお大切に。
このエハガキはもう四、五年以前のもののようです。二科や院展がはじまったから新しいエハガキを御覧にいれましょう。南画会が小室翠雲と関西派との衝突で解散した由。残暑をお大切に。本当にお大切に。
九月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(青鉛筆書き 封書)〕
九月十一日 第十一信
きょうはひどく風が吹くので暑さが乾
前へ
次へ
全53ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング