ないのよ。私自身にしろあなたひとりは威張らしておいてあげられない位「失うものは借金」の組ですからね。何がこの人生において合理的な生きかたであるかというようなことを心持の上でわからせて戸主気質から少しでも解放してやりたいこと。妹に真の自立性というものを教えて、勝気のために却って歪む自尊心の負傷を少くしてやりたいこと。咲が自分の亭主に対してもう少し正しい健康な意味での影響をもつように、そうしてよいものだと確信するように。それらのことは、私が家を別にして生活すると出来難いからいるうちに改善してやりたいと考えた、そのことであったろうと思います。疲れたというのは、自分たちが腹からそういう要求をもっていないから、皆敬意と一つのチェホフ的翔望[#「翔望」に「ママ」の注記]をもって、
ほんとねえ、そうしたらどんなにいいだろう!
と深く呼吸をするが、実際の生活はその古い道を流れている。食うに困らぬこと、即ち生活にこまらぬことと思っている。そんなような気がしているらしい。その中で改良に疲れたと云ったのでしょうと思います。
国など「姉さんがいなくなったら僕も大変だ、よっぽどしっかりしないとダラクするね」と云ってはいるが。何か反歴史的な執着などから経済的にもその他にもごたついてはいないのです。どうかそのことは御安心下さい。悪いものではない。だがどうも困る。そういう存在を今のような歴史は沢山に包括して居りますからね。
私の手紙が第五信までついて居る由。ところで私の今書いているのには第九信と番号が打ってある。十二銭の切手を貼ったのを御覧になりましたか? すると私は一つ自分の番号をとばしてしまったのかしら。或は今のが第八信に当るのかしら。とにかくこの頃はウンウンでね。偉大な価値の評価が正当にされるようにされないということ、それが私の努力の動因です。単にまつり上げるのでなくて、一箇の芸術家は自分の才能をどのように生かして来たかどんな力ととり組み自身の矛盾ととりくんで来たかというその突き入るような分析、綜合、生きた人その人がそれをよんでああ自分は斯うであったかと三歎するようなもの、そういうものをつくる決心で私はとりかかって居ります。半分ばかり終りました。書きながら私自身の生長も自覚されるような、そういうものを書いて居ります。よろこんでいただけるだろうとたのしみです。
きのう十国峠で採って来た
前へ
次へ
全53ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング