烈にそのことを感じ、二三の場合、話したこともあったがわかるものがなかった。さすがジイドである。そうでしょう? あなたはこのことは分っていらっしゃる。けれども、私がハッとそのことを思う折々にすぐ、傍を向いて、「ね、こうでしょう? だから!」ということは出来ない、残念であるが。二人分を感じて、私の心は撓《しな》うようです。撓いつつ甘美な苦痛を感じて、折れないという自覚のよろこび。
 抽象的なことを喋って御免なさい。でも時々はこれもいるのです。私の精神衛生の見地からね。(笑い声は小説家が苦心するところです、今も困ったわ。私は笑っているのだが――)ああ、私共は、沢山沢山感じて生きているのだからね。
    ――○――
 この頃沢山読む本は、いつか前に書いたときつかったもので紙がはさんである。もう古びて。こんどは、又この次の便利のために、必要なところには昔の人のはり紙のように紙を貼って見出しを書いて居ります。一目瞭然で大変によろしい。その紙の切ったのを沢山こしらえて、一つの小さい箱に入れておいてある。その箱はパリで、母が誰かのおみやげにやると云って買ったのの残りで、本当はマッチの飾箱なのです。金色のレースが張ってあって、細い色リボンの花飾りがついていて、ローマッチをこするザラザラがある。ロココまがいのけちくさいもの。その中から紙片を出して本に貼る。
 ガラスの角ばったペン皿のとなりに置いて。ペン皿には御存知の赤い丸い球のクリーム入れがあって、太郎が二階へ来ると、私はいそいでそれをかくすの。握ったら可愛がってはなさないのです。ところがおばちゃんにしろ、これをどっかへころがされては一大事とばかり、太郎と同じように眼玉をギラギラさせるの。可笑しいでしょう? きょう千田さんから電話、うちの小さい子供が話をするというので私の話、「ああもしもし、きこえる? 私はね、まだあなたにあったことはないけれどね、あなたが生れるときリンゴの煮たのを母さんにあげたことがあるのよ。こんど会いましょうね」
 太郎はまだ後輩故卓上を握ってア、ア、というだけ。
 きのう二百哩ばかりドライヴをした、いろいろの話を書くのが順のようだけれども、きょうはあなたが八月二十二日に書いて下すった手紙が朝食堂のテーブルの上にのっていたので、先ずそのお礼を申します。
[#花飾りで囲まれた「八月三十日の午后」の縦書き手書き文字(
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