の編輯の仕事に入りたい希望でいることは、この前の手紙で申しあげましたね。今月の二十日頃採否がきまります。いずれにせよ、この家には住まないことになりました。KUが私がいないではSUと住むことを我慢しきれないというの。SUの方でも。――ケンカ別れをしてしまうより別々に暮そうということになったのです。二人ながら生活においては未熟練で、感情的で、互に「他人よりわるい」場合が頻出するのですね。私は太郎の遊んでいる姿を眺め、この可愛い小僧の精神の中に、どれ丈この生温い、受身な、姑息な生活気分を打開する力がこもっているかと思います。そしてどうかこの小僧が成長する時代が活溌であって、おのずからいきいきとした雰囲気に呼吸して育つようであったらと希望します。私たちの家の三代の間の歴史は実に興味があります。この面白さは文字でしか描写できぬものです。
 私の家はそろそろさがして貰うことにしました。どこに住んでよいかよく分らないけれど早稲田南町辺はどうかしらなど考えて居ります。戸塚へも近いし。市外はおやめです。夜などの出入りに淋しくて困るから。
 この手紙はいろいろ盛り合わせになりました。
 お体の様子は又くわしくお知らせ下さい。
 附録、 千葉県の保田に一ヵ年契約で月六円の家があり、いねちゃんの子供らのために共同でかりました。学校の休のうちに子供らは出かけます。私は毎日大勉強で、本を運ぶのが面倒故、一かた今の仕事が片づいてから。七十銭位の本になります[自注13]。大変面白い文化年表をつけます。前例のない試みですが、有益です。

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[自注10]花の散ったパリ――一九二九年のアメリカの恐慌の影響をうけたパリの生活。
[自注11]二年間位の仕事――「伸子」の続篇が計画されていたが実現しなかった。
[自注12]シャパロフ――シャパロフ著『マルクス主義への道』。
[自注13]七十銭位の本になります――ゴーリキー伝のこと。健康悪化してこの伝記は未完のまま終っている。
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 八月十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(正宗得三郎筆「干潮」の絵はがき)〕

 八月十日午後五時半。夕立があがって心持よい夕方。蝉がオーシイツクツク、オシオスと鳴いています。御気分はいかがですか。私は毎日十枚位ずつ書いて居ります。二日ばかり前、十二銭貼った手紙を出しましたが御覧に
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