さい。よまない本があってもかまわないから。読んでしまって返す本はそちらで郵送宅下げの手続きをして下さると、一等便利でしょうと思います。これは三日に云うのを忘れました。
この手紙はいつ頃あなたのお手許に届くでしょうね。そして、あなたのお手紙はいつ頃私のところへ来るのでしょう。私はこうやってかいていて、六つばかりのとき母がランプの灯を大きくしてロンドンにいる父のところに手紙をかいていた時の若々しい情熱に傾いた姿をまざまざと思い出します。私の手紙はきっとアメリカへ行く位かかってあなたのところへ届くのでしょうね。
私は体によく気をつけ、健康ブラシをつかっているし、よく眠るし、美味《おい》しがってたべるし、いい状態です。家のことをしてくれる者が落付いたらそれから小説をかきはじめます。私は胸にたまったものを一通り吐き出してしまわなければ小説はかけないので、この月はたくさんほかのものを『文芸』や『行動』や『文学評論』やらに書いたがこんどは小説です。私は来年にはうんと長い大きい小説にとりかかります。それのかける内容が私の体について来た感じです。その身について来たものの一つの例であるが、大きい文学に必要な豊富でリアリスティックな想像力というものは、現実をよくつかんで、しって、噛みくだいていなければ生じぬものですね。そして、そういう力なしに大きい作品は書けないのだが、私は自分が過去二三年の間、そのひろくて、熱のある想像力の土台の蓄積のために随分身を粉にしたし、そのおかげで今日自身が仮令《たとい》僅かなりともそういう文学上の力を再び我ものにしたことを実感しているのです。私はやっと生活の上で闊達《かったつ》であるばかりでなく文学の上でも闊達ならんとしているらしいから一層慎重に勉強をすすめるつもりです。
あなたに叔父様は目のことを注意なすった様子ですが、呉々も読みすぎぬよう願います。それから風呂へ入るとき、風呂桶のフチや洗桶やをよくよく気をつけ、穢《きたな》らしいバチルスを目になど入れぬよう、本当に気をおつけになって下さい。私はあなたについては下らぬ心配を一つもせず安心しているのですが、そして、私はよく仕事をして丈夫で、私の周囲の人のよろこびと希望の源泉となって丸々していれればよいと信じているのだが。そういうことを考えると非常に心痛します。用心を忘れないで下さい。鼻はいかがかしら? 便通は? そう、こんなことも今に追々わかるでしょう。もう夜が明けてしまうかしら、ではおやすみなさい。よく眠るおまじないをどうぞ。
第一信の附録二枚。
これを書いているのは次の日のつまり土曜日の夕方です。今日は曇ってなかなかひえます。うちの近所に美味しい餅屋があるので、林町の父のために、さっきお餅を注文したところ。庭が五坪ばかりあって、椿の蕾がふくらんで、赤い山茶花《さざんか》が今咲いています。その一枝をとって来て、例によって机の上におき、それを眺めて眼をやすませながら、これからバルザックについての感想をかくところです。
ゴーゴリ全集やバルザック全集からこの頃はモリエールの全集まで出るの。バルザック協会がゲーテ協会に対するものとして出来て、なかなか古典は出版されます。出版されるのであって、真に研究されるのでないところに、文学の窮乏があるのでしょう。ドストイエフスキーなどがよみ直されるのみならず、人間の神性とか獣性とかいう問題にからんで云々され、不安の問題が上程され、その深めるための文学的努力はされずに舟橋聖一氏は文学における行動性ということを主張しているし、なかなか壮観です。その行動性のモデルのようにゴンクール賞をとった『勝利者』という小説の翻訳が出ました。小松清氏というフランスにいたことのある人がホン訳したので、まだ二三頁をよんだにすぎませんがジャーナリスティックなものだし、又エキゾチシズムがつよい。フランスでエレンブルグが書いたものを思いおこさせました。私のバルザックについてかきたいところは、ある人々によって云われているようにバルザックが何でもかでも書きたいことを書いたのだがそれは歴史を正しく反映したから、我々もそうやろうということについての不用意の点です。バルザックが、今日いう意味ではリアリストでなかったのだし、彼のロマンチシズムがその時代の必然によって、リアリズムを既に内包していたこと、その二つの矛盾が作品のすべてに実に顕著に顕《あらわ》れていること、従って、林氏亀井氏保田与重郎氏の云う日本ロマン派がそのうちに内包し得るものは何であるかということなどなのです。十月にトゥルゲーニエフの研究を三十枚ばかり書いて、面白くよまれました。しかしバルザックはどういう風に出来るか。月曜日に毛糸の足袋と下着類と戦争論その他を入れます。私はこの頃になって、もう一遍一寸メーテルリンクをみて、何か発見して見たいと思うことがあります。それは、これまでの作家が運命というものについて、実に多く書いているが、メーテルリンクは彼の神秘主義で、青い鳥でそれをのりこえることを語ったと思う。賢こさというような力で、賢者がよく出たでしょう? 彼の作品には。悲劇というものも、私は又考え直して見たく思っている。メーテルリンクとは違うが(云うに及ばないとニヤリとされそうですね)私は過去の文学に規定されている悲劇というものの理解について疑問が出て来た。或る生活の中に生じる波瀾かっとうは非常に苛烈であって、異常であるが、それに対する理解が驚くべき見とおしによって貫かれていて、当事者がそれを悲劇以上の把握で捉えて生きぬく場合、それは文学に描かれて悲劇の程度に止っているであろうか。リヤ王なんかは悲劇だし、オイデプスなども悲劇に違いないわね。だが文学は内容を新たにして今日に至り、現実を、現象的につかんでだけ書き得る所謂《いわゆる》悲劇は、高められている、否、高められる可能性に立っていると少なくとも私は自身の文学の前面にそのようなものを感じているのだけれど。
これはこうかくと平凡のようだが、小説をかく心持の上ではなかなか平凡ではないのよ。
バルザックが或時代の或タイプを描いたという評言を後生大事にかついでおまもりのように云っている人があるが、或タイプといってもそれは社会的活動の関係の中で立体的に描かれなければならないので、型として、内的外的活動を規定の枠内で行為させているのは一種の善玉悪玉式で、厖大なロマンチシズムではありますまいか。人道主義的ロマンチシズムをかかげて若いゴーリキイに影響したディケンスなど、こんどよんで御覧なさいまし。クリスマスカロルなど、スエ子がきのうよんで、何だかいやな気がしたと、ひどく気分的に表現していたが主人公がここでも、全くあり得ぬようにセンチメンタルに架空的にとらえられているのです。
ねえ、私は用心しなければいけませんね。こうやってかいていればいくらだって書いて、随筆幾つか分の手紙をかいてしまいそうです。私たちが暮して間もなくあなたは、私がどんな手紙をかくかしらと云っていらしったことがあったが、いかが? 私の手紙は。私の手紙には私の声が聞こえますか? 私のころころした恰好が髣髴《ほうふつ》いたしますか。その他さまざまの時に見える私が見えますか? 三日に余り久しぶりであなたの声を聞いて、私は今だに耳に感じがついて居ます。ここでさえペンをもっていると手がつめたい。(附録終り)
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[自注1](不許)――この第一信は「不許可」で顕治にわたされなかった。万一のために保存されていたコピイによる。
[自注2]叔父上――顕治の父の実弟、山口県熊毛郡光井村にすんでいた。幼時から顕治を非常に愛し、小学校へはこの叔父の家から通った。
[自注3]林町――本郷区駒込林町二一 百合子の実家。
[自注4]父――百合子の実父、中條精一郎。一八六八年―一九三六年。建築家。
[自注5]籍のこと――百合子入籍の件、顕治と百合子は一九三二年二月本郷駒込動坂町に新居をもった。一ヵ月あまりののち、プロレタリア文化団体に対する全面的弾圧がはじまって、四月七日、顕治は非合法生活に入り、百合子は検挙された。そういう事情のために百合子の入籍手続がおくれていた。
[自注6]壺井さん、栄さん――壺井栄。
[自注7]島田の父上――顕治の実父、宮本捨吉。一八七三年―一九三八年。山口県熊毛郡島田村居住。
[自注8]島田の母様――顕治の実母、美代。
[自注9]スエ子――百合子の妹。
[自注10]山田のおばあちゃん――顕治の下宿の女主人。
[自注11]達治さん――顕治の長弟。顕治に代って家事経営の中心になっていた。一九四五年八月六日広島の原爆当日、三度目の応召で入隊中行方不明となった。同年十二月死去の公報によって葬儀を営んだ。十月十日に網走刑務所から解放されて十二年ぶりで東京にかえった顕治と百合子が式に列した。
[自注12]国男夫婦――百合子の弟夫婦。
[自注13]林町の母――百合子の実母。葭江《よしえ》。一八七六年―一九三四年。
[自注14]淀橋――淀橋警察署。
[自注15]私の最近の評論感想集――『冬を越す蕾』。
[自注16]いね子――佐多稲子。
[自注17]松田さん――松田解子。
[自注18]原泉夫妻――中野重治と原泉子。
[自注19]トムさん――村山知義。
[自注20]山田さんの奥さん――山田清三郎の妻。
[自注21]河野さくらさん――鹿地亘の妻だった人。
[#ここで字下げ終わり]
十二月二十四日〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕
第三信 十二月二十四日。午後。(月曜日)
今日は。いかがですか。お体の工合、本の工合、その他いかがですか。きょうは、曇天ではあるが気候は暖かで、私は毛糸のむくむくした下へ着るものは我知らずぬいでいるくらいです。今年はこれから一月一杯オーバーなしですごせる程の暖い正月だとあったけれども、どうかしら。そちらはこの暖かさがどの位おわかりになるのでしょうね。
十八日には思っていたよりずっと早くお手紙がついたので大変うれしゅうございました。その晩例によっておそくまで仕事をしていて、十八日の朝おきて、下の長火鉢のよこへ降りて行ったら、いろんな手紙、古本屋の引札や温泉宿の広告や、そんなものの間に、さも何でもなさそうに挾んで置かれてあった。それをとりあげ、そのまま又二階へまい戻りました。よんで、枕の横において、しばらく眠って又読みました。
私はひとり明るい日の光を夜具にうけながら天井を眺めて、笑った。あなたがやっぱり小さい字をお書きになったから。――しかも大変よくわかるように書けるから。
ありがとう。林町の人たちには、おことづてを一人一人につたえました。皆よろしくと申しました。島田の父上には、こちらからわかもと[#「わかもと」に傍点]をお送りいたしますから上るようにと手紙をさしあげました。光井の叔父様がおかえりになってからは、あちらの皆さんのお心持も大変健康になったから何よりです。お母上のお手紙は、この間はじめてどことなく暢《のん》びりした調子でかかれてあったので、よかったと思いました。お話のあった手続のこと、私の分だけはもうすみました。御安心下さい。
初めてのお手紙で、あなたの体に注意していらっしゃること、その他、はっきりわかりました。もちろんそれらのことは、はじめから私にわかっていることであり、あなたが懸念なくいらっしゃる如く、私も全く懸念ないのですが、あなたから響ある言葉をきけば一層のことです。この間書いた手紙をよんでいらっしゃれば、私のかくもののこと、もうあらましのことは申上げたと思いますが、「小祝の一家」はいいところもあるが、今日読んでみると、全体のつかみかたが決して不正確ではないし、とり落してもいないが、まだもう一息つよくてよいところが感じられます。新鮮ではあるが、強烈さが足りないと自身に物足りないのです。部分的な力の入れかたではなく、内容にもっとぴったり迫ったところ、ね、膝づめのところ、それが不足している。おわかりになるでしょう? この感
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