テルリンクをみて、何か発見して見たいと思うことがあります。それは、これまでの作家が運命というものについて、実に多く書いているが、メーテルリンクは彼の神秘主義で、青い鳥でそれをのりこえることを語ったと思う。賢こさというような力で、賢者がよく出たでしょう? 彼の作品には。悲劇というものも、私は又考え直して見たく思っている。メーテルリンクとは違うが(云うに及ばないとニヤリとされそうですね)私は過去の文学に規定されている悲劇というものの理解について疑問が出て来た。或る生活の中に生じる波瀾かっとうは非常に苛烈であって、異常であるが、それに対する理解が驚くべき見とおしによって貫かれていて、当事者がそれを悲劇以上の把握で捉えて生きぬく場合、それは文学に描かれて悲劇の程度に止っているであろうか。リヤ王なんかは悲劇だし、オイデプスなども悲劇に違いないわね。だが文学は内容を新たにして今日に至り、現実を、現象的につかんでだけ書き得る所謂《いわゆる》悲劇は、高められている、否、高められる可能性に立っていると少なくとも私は自身の文学の前面にそのようなものを感じているのだけれど。
 これはこうかくと平凡のようだが
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