途中まで行くから、一緒に行らっしゃい」
左手に黒々と巖山が聳え、駅を出てそこを歩いて居るのは僅か三四人であった。巡査の白服が夜目に著しい。追いついて又宿を訊いたら巡査は当惑して立ち止った。止ったところの左手に真暗なトンネルが入口を見せて居る。そこを抜け、まだ遠く歩かねばならないのであった。
巡査と共に立ち止った人中に、一人の漁師が居た。
「俺がぐるりと廻って連れてってやるべ」
漁師の後から歩み出し、トンネルに入った。始め人家の灯で、黒白縞のドガのような漁師の着物の脊中が見えたかと思うと忽ち闇に吸い込まれた。彼は跣で跫音はせず、令子の下駄だけがトンネルの中で反響を起した。やがて、出口からの光でぼんやり漁師の頭の輪廓が見えるようになった。
開いたところへ出ると、令子は飢えたように空を仰いだが、月は雲の裏にあった。薄明りが、草原と、令子と漁師の歩いている路を照して居る。又トンネルがあった。短いトンネルであった。虫の鳴く音や、自分の下駄の音が、一つトンネルを抜ける毎に、新しく令子の耳についた。
又長いトンネルがあり、つづいて雨よけのさしかけのようなトンネルがあり、つき当りにやっと、鵜原館と電燈で照し出した白い板が見えた。
濤の音がした。
宿のものは、この時刻に来る客があると思って居なかったらしく、案内をした漁師に言葉もかけなかった。令子は変通自在な銀の小さい月を漁師の掌の上に落した。
松の梢と日除けがあって、月は令子の部屋へさし込まなかった。雲も出た。畳へ横わって待って居ると、雲を出た月は輝きを放つ間もなく流れて来る雲に憂鬱に埋められた。海はここの下で入江になって居て、巖壁に穿たれた夥しい生簀の水に、淡い月の光と大洋の濤が暗く響いて来た。
裏手の障子をあけるとそこも直ぐ巖であった。その巖に葛の花が上の崖から垂れて居た。葛の花は終夜、砂地に立つ電燈の光を受けた。
[#地から1字上げ]〔一九二七年十一月〕
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「創作時代」
1927(昭和2)年11月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年11月30日作成
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