眺め母親は、
「本当に、これじゃあどっちが余計苦労しているのか分らないようだよ、お前はいつ会っても平気そうに笑っているけれど……」
「だって、泣くわけもないもの」
自分は重く、声高く笑い、自分には興味のない犬だの、小さい妹の稽古だののことに話頭を転じる。母親がいらぬ心痛から妙な計画でも思いついては困ると、自分は留置場の内のことについては、何一つ云わないようにしているのであった。
話しながら自分はちょいちょい、母親の手提袋を膝にのせて控えている妹の顔に視線をやった。母親との話はすぐとぎれた。すると妹が、
「――やせたわね」
と眼に力を入れて云って、可愛い生毛の生えた口許にぎごちないような微笑を泛《うか》べた。
「そうオ?」
頬ぺたを押えながら、自分はゆっくりこちらの気持を打ちこむように云った。
「どう? みんな変りなくやっている?――この頃は私の知りもしないこと云え云えで閉口さ」
「そうなの!」
びっくりしたように目を大きくする。押しかぶせて、
「どう? 何か変ったことないの?」
意味ありげな顔つきをしている癖に、こういう場面に全く馴れない妹は何も云えず、母親は母親で、やはり気持のはけ口を求め、神経的に真白い足袋の爪先をせわしく動かしている。――心配をしているのは真実なのだが、彼等は、はっきり私の側に立って、たまの機会はどしどし積極的に利用するという確り引立った気分で腰を据えていないから、手も足も出ない有様なのであった。
母親は、持ち前の性質から、矢張り、そんな犬の仔の話などしておれない気持になり、段々焦立って、遂には議論を私に向ってふきかけ始めるのであった。
「私はね、それが正しいことだとさえ分れば、よろこんでお前の踏台になりますよ。ああ、命なんぞ、どうせ百年生きるものじゃないから、未練はない。だが、どうも私には一点わからないことがある。――国体というものを一体お前はどう思っているのかい?」
署長は、廻転椅子の上で身じろぎをし、主任は、隅で胡麻塩髯のチビチビ生えた口許を動かす。
自分は、
「……相変らずね!」
と、全場面に対して湧き起る顫えるような憎悪を抑制して苦々しく笑い、
「そういう議論を、こんなところではじめたってお互の為にろくなことはないんだからね。やめましょう」
母親は、不服げに、十分意味はさとらず、然しぼんやりそれが何か不利を招くと直覚
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