って来た。
留置場の五十日や百日は何だ。そういう意気で革命的労働者、農民が非人間的な条件の下にもひるまず闘いをつづけているのは本当である。同志小林が「独房」という小説の中で、プロレタリアは、どこにいても自信を失わず朗らかであると云っているのに嘘はない。
だが、現在の日本の有様では前衛的闘士ばかりか全く平凡な一労働者、農民、勤人、学生でも、留置場へ引ずり込まれ、脅され、殴られ、あまつさえ殺される可能が非常に増している。極めて当然な賃銀値上げ、待遇改善を要求しても直ぐ警察だ。学生や職場の大衆が知識欲をみたすための罪のないサークルや読書会をもっても二十九日、又それをむしかえしての拘留を食う。
留置場に長くいればいるほど、権力の手のこんだ専暴と、人民は無権利であることを切々と感じる。
初めて[#「初めて」に傍点]留置場へぶち込まれたからとか、ふだん人並の飯を食べているからとかの問題ではない。
看守の顔を眺めながら自分は、ソヴェト同盟の革命博物館のことを思い出すのであった。革命博物館には、種々様々の革命的文献の他に帝政時代、政治犯が幽閉されていた城塞牢獄の監房の模型が、当時つかわれた拷問道具、手枷足枷などをつかって出来ている。茶っぽい粗布の獄衣を着せられた活人形がその中で、獣のような抑圧と闘いながら読書している革命家の姿を示している。
工場や集団農場から樺の木の胴乱を下げてやって来た労働者農民男女の見学団は、賑やかに討論したり笑ったりしながらノートを片手にゾロゾロ博物館の床の上を歩きまわる。が、ここへ来ると、云い合わせたように誰も彼も黙ってしまった。頬が引緊った。自ら密集した。そして焙《や》けつくような視線でいつまでも立ち去らず蝋燭の光に照し出された牢獄の有様を眺め入った。
がっちりした肩を突き合わせた彼等の密集は底強い圧力を感じさせた。執拗な抗議を感じさせた。彼等が闘いとった権力をもう二度とツァーに返すものかという決意が、まざまざ読みとれ、彼等はやはり言葉すくなに、携帯品預所でめいめいの手荷物をうけとり、職場へ戻って行くのであった。
日本のこの留置場の有様[#「この留置場の有様」に傍点]が、そうやって革命博物館の内にそっくり示される時が来たら、赤いネクタイを首にかけたピオニェールたちが、どんなにびっくりして、その不潔、野蛮な様子を押し合って眺めるであろう!
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