りしているのでしょう。
 真に公の声である全日本の人々の、生きて働けるだけ食べられるように、という声に心を合わせて、人民が自分たちで責任をもって食糧の管理をやって見ようという、公の方法に、賛成しないのでしょうか。
 ここでも、公のことと、私のこととが全くさかさまになっております。

 日本の歴史は、ついきのうまで、深い封建性の雲にとざされておりました。そのために、「公」という字の使いかたが、永年のうちに誤られてしまいました。「公」という字は、官僚的な、役所、「お上」のことめいたものばかりを意味するようになってしまいました。
 私という字は、何でも民間のもの、よくてもわるくても公よりは一段力のよわい、社会の立場の低いものと、うけとられるようになりました。
 民主的な国で「公衆」というとき、それは個々の「私」が幾千幾万と、より集った、最も実力のある、決定権をもったものとして、見られています。ところが日本ではどうでしょうか。
「公衆食堂」へ農林大臣が食事に行ったという例があったでしょうか。同じ「公」という字でも、それに「衆」という字がついて公衆となると、それは却って一段と低くなった感じで扱われて来ました。

 今日のように、日本が民主主義の国になろうとして、新しい出発をしたばかりのときには、「公」という字の感じかたにも、混雑があります。「輿論」というと相当の重みをもって通るのに、「公衆の意見」というと、何だか、その程度をうたがわれるような傾きがあります。別の「公」、官僚的な重苦しい「公」で、何となく抑えつける余地でもあるように、扱われています。

 思えば、戦争中、私たち全日本人は「滅私奉公」という一字で、万端をしめくくられて来ました。けれども、今日になって、その時をかえりみれば、「私」を滅して、命までを捧げるべき「公」と云われたものの本体は、たった一握りの特権者たちの、「私」の利益であったことが明瞭にされました。

 自分のこころもち、自分の考えを、どこまでも私ごとという、カラの中に封じておくならば、決して社会は進歩いたしません。
 私たちのめいめいの心もち、考えの中に、ひろくひろく「公」の要素が加って、「私」の見解はとりもなおさず、一つのれっきとした「公」の見解であるというようになって、はじめて日本の民主生活は、現実のものとなってゆくでしょう。[#地付き]〔一九四六年六月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:NHKラジオ
   1946(昭和21)年6月6日放送
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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