う名からして中年の寛容な父親を思わせる様なのに、くるくるとまといつかれても一向頓着しずに超然として居る様子が如何にもいい。
知らないうちに、昔の御大名の毛鎗の様な「けいとう」だの、何とあれは云ったか知らんポヤポヤした狐の尾の様な草も沢山断りなしにはびこって居る。
あんまり雑草にはびこられたので、十本ほどあったカアネーションは消えたものと見えて、何処にも見あたらない。
苗床と苗床との間を一杯にコスモスがひろがって居るから入って見る事も出来ない。
今の分では花などは咲きそうにもないから一層抜いてしまった方がいいかとも思われるが、水々しく柔いその葉を見ると、流石そうも仕かねる。
鶏舎に面した木戸の方へ廻ると十五の子の字で、雨風にさらされて木目の立った板の面に白墨で、
花園(第一号)
園主
世話人
助手人
と、お清書の様にキッパリキッパリ書いてある。
微笑まずに居られない。
気がついて見ると鶏舎の戸にも「養鶏所」と麗々しく書いてある。
身丈なんか私共より高くなって、太い如何にも男らしい声を出して居る子が、何でも人並みにとりあつかいたがる気持が面白い。
毎朝鳥の餌を運んで行く「みかん箱」にまで「第何号」「鶏舎専用」などと書いて居る。
可愛らしい事だと思って見て居ると、バタバタ、バタバタ一人ではねくり返って居た八つの子がそばによって来て私の□□[#「□□」に「(二字分空白)」の注記]を見てくれと云う。
手を引っぱられて金網の外からのぞくと、拇指位のやせたのが三つ四つ見えるだけで、掌の長さ位になっていい形恰《かっこう》にくくれて肥ったのが見つからない。
「見えないじゃあないの
と云うと、あっちへ馳けたり此っちへ馳けたりして葉かげをのぞいたがどうしても分らない。〔以下欠〕
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
※1915(大正4)年9月20日執筆の習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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