イスラエルの民のように
父なる天に溶け入るのだ。
文明人
可笑しな 文明人
何故 あの人々は
アラビヤ人のように胡坐を組んで坐らないのでしょう?
胡坐はよい。
わが 小さい体の下にも
強い大地があるを感じ
空は 猶高く、仰がれる。
草を見るのに
窮屈にかがますと
首を延し、自分の仲間で茎を見られる。
地を這う小虫も
麗しい五月の 地苔《こけ》も
皆、すぐ 体の囲りで
ささやかな 生を営むのだ。
高く 高く 安定のない魂は寂しい。
救われる道がなく寥しい。
空は円く高く 地は低く凹凸を持ち
人は、頭を程よい空間に保って
はじめて
二つの心が、謙虚な霊を貫くのだ。
心
自由に 自由に
何処までも 行こうとする心。
十三の少年のように
好奇に満ち、精力に満ち
野蛮な わが心。
しとやかな女と云う
仮の区別は私を困らせる。
妻と云う
奇妙なさだめは、私に溜息をさせ、笑わせる。
光りのように閃めき、跳び 貫こうとする我心
本体は我にさえ解らず
間抜けた侍女のように
いつもあとから「我《が》」が
実質の 影を追うのだ。
鶏
裏の小屋の鶏
真昼 けたたましい声をあげる。
昨日も、おとといも 又さきおとといも
私は部屋から声をきいた。
然し、何と云う いやな音。
雀は勿論 彼等は電車より厭な声を出す。
濁り、限られ、さも苦しそうに
あとから あとから
ケッケッケッケッ、コキーケッケッ
と叫ぶのだ。
風が吹くのに
空は碧いのに
あの声ばかりは 繩で縛られ身を※[#「足+宛」、第3水準1−92−36]くようだ。
新らしい卵を産んだと云うのに
朗らかな歌も歌えない鳥類――
若しや――人間に飼われ 飛ぶ空もなく
卵はあとから盗まれるので
彼那 不快な心になったのか?
若しそうならば――……
ああ、あわれ あわれ
彼等は 野禽の昔さえ
憶い出さないか?
*
大空は からりと 透きとおり
風がそよぎ
薔薇は咲き匂う
今はよい 五月だ。
されど、又来る冬を思うと
私の心は、悲しくなる
子供に、夕方が来るように。
あの 寒さ
憐れな木の家の中で 凍る頭や指先
丸くちぢまり 呼もせず
すくんで暮す 朝夕を思うと
出来るなら 黄金の 壺に
此 初夏の輝きを 貯えたく思う。
胸に抱けば 暖かろう
蓋をすかし そっと覗けば 眼も耀こう
愉しい 我心の歓びが還り
愛が とけ
恐ろしい横眼が
真直な 正視に 微笑もう。
何処かに
此 赫《かがや》きと色とを
掬いとる 小籠はないか
賢い ハンス・アンデルセン
ノーウェーで、
五月の空気は 薫しくありませんですか?
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング