う集団的労働と休息をもつようになって来た。
集団農場では農業生産物の取引も、個人個人がやるのではない。工場が、生産組合との間に行う取引と同じような社会主義的な形態で行われることになった。本当の農業の計画的生産がはじまった。各集団農場が面積、労働力、生産手段に応じて生産予定額を生産組合との間に協定して取引する。組合員は、もう去年のように、仲買人にだまされることを心配しないでいい。集団農場が負担する税はひどく低率だ。優良種子、耕地整理、農業技師の派遣等は、生産組合が、責任を負ってやって呉れる。
集団農場化は、大局から見て、都会の工業に対する農村のこれまでの植民地関係を止揚するばかりではない。一人一人の貧農・中農の直接の利害から云って集団農場に加入する方がずっと割がいいことを明らかにした。
五ヵ年計画で、ソヴェト農民の一人宛収入が、六五パーセント以上八〇パーセントもあがるという事実は、既に集団農場化の第一年に認められた。農村の電化の素晴らしい勢! 真実、農村の「十月」は五ヵ年計画とともに始まった。
富農《クラーク》と貧農・中農との間の鋭い階級的対立のない村は、一九二九年の秋、どこにも見当らなかった。或る村では、集団農場化に精力的活動をする貧農とコムソモールが行方不明になった。十日も経って、沼から彼等の長靴があがり、やっと死体が発見された。或る村では、都会から派遣された集団農場の組織者が、窓越しに鉄砲を射たれて死んだ。せっかく村へよこされたトラクターが深夜何者かによって破壊されたという例は一再ならず我々の耳目にさえふれたのである。
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│工場と農村の結合《スムイチカ》へ! │
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都会の工場から農村の集団農場の手助けに労働者のウダールニクが数十万動員された。
富農撲滅と富農と結托する僧侶排撃の精力的な活動と集団農場での文化向上のための文化・芸術ウダールニクが、元気のいいつむ[#「つむ」に傍点]のように彼方から此方の村へと飛んだ。
一九二九年には、ソヴェト全農戸の五〇パーセントが集団農場化し、農民の心理は急速に変化しはじめた。生産手段の工業化とともに視野はひろがった。馬鋤を押して行きつ戻りつする個人耕作の畦が消えたといっしょに、社会主義的な方法で農業生産に従事す
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