をきき、猟銃をかつぎ黒パンを入れた袋をかついで次から次へと集って来た。
広大なソヴェト同盟内の各地方ソヴェトは、南方でも、シベリアでも勇敢な農民パルチザンと赤衛軍との血でうちたてられたのであった。
一九一七年、一八年、そして一九年。
国内戦はまだ鎮まらない。然しソヴェトは革命の翌日から着々土地法を制定した。
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第一条 ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国領域内ニオケル土地、地中埋蔵物、水域、森林オヨビ生ケル自然力ニ対スル私有権ハ永久ニ之ヲ廃止ス。
第二条 土地ハ一切ノ(公然タル若クハ隠蔽サレタル)賠償ナクシテ今日限リ全労働大衆ノ使用ニ帰スルモノトス。
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ツァー、貴族、教会、地主、富農の土地は没収された。面積一億デシャチン、価格百三十億金ルーブリの耕地が「十月」によって確実に農民の手にわたった。
ところが、戦後共産主義の毎日が始って見ると農村にはいろいろな困難が起って来た。
農民の間の反動的分子は密造酒を飲みながらゴネだした。
「ヘエ、俺らコンムニストにだまされたんだ。奴等あ何て云った? 土地は農民へ! って云っといて、命をまとにソヴェト権力を守らした。――フー! 何が農民の土地だね! 昔あ地主に作物をとられた。今じゃ政府だ。その間に何の違いがあるかね? 昔あ年貢が不足すりゃ鞭打ちですんだ。コンムニストは鞭の代りに書付を出しくさる! そして監獄だ! フーッ!」
土地を農民へ。ということを階級的意識の低い、農民のあるものは、本質を全く反対に考えていた。土地を皆に分け取りにして、取った土地で稼げば稼いだだけ自分の身上を肥やしてゆけるようになるのだとカン違いしていた。社会化した土地の利用ということの代りに、今度は自分達が地主となって元の地主からとった土地を分け合えるものと、旧い私有財産制に毒された理解に執していた。このため一九二一年までの単一経済組織における農産品の現物税徴収では、ソヴェト政府と都会のプロレタリアートとが大難儀を経験した。
工場に働く労働者とまるで伝統が違い感情もちがう多数の富農・中農民は、永年に亙る非人間的生活にうちのめされ、個人的な打算以外の考えかたを持ち合わせていない。「十月」を自己流に考えて得だと思ったから、革命的な貧農と共に、のり越えた。が、いざとなるとプロレタリアートが
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