対する答の材料をわれわれに与えない。その汽罐車製造工場とそこに働く労働者は「レールは鳴る」に現れたぎり、消えた。他のどの作家も、二度とそこをとりあげていない。
 しかしながら、ソヴェト五ヵ年計画は、全同盟内の運輸網一九二八年八万キロメートルであったのを、三三年には十万五千キロメートルにしようとしている。この数字は、云わずとも沢山の汽罐車が新しく造られなければならないことを示している。
 嘗て、キルションに観察され描かれた汽罐車製造工場内の大衆が、この燃え立つ社会主義達成の時期に「レールは鳴る」時代とはまた種類の違う形態と心持の内容とで、職場内の階級的闘争を経験していることに疑いはない。もし、キルションがずっと続けて、この工場と現実的な接触を保っているとしたら、彼は、この汽罐車工場における第二の革命、歴史的瞬間の諸相を見落しただろうか。
 作家キルションは、工場内の熟練労働者は勿論のこと、門番、のんだくれて同志裁判にかけられた労働者とまで知り合いなはずだ。生産の技術についても、ズブの素人以上の知識をもっているであろう。職場内の一般的気分、五ヵ年計画につれて発生し複雑に発展する様々の現象と心理とは、たった一ヵ月、或は二ヵ月その工場を見学した文学衝撃隊《リト・ウダールニク》の到底及ばない実感、正確さ、見とおしで描写される筈ではないだろうか。
 キルションは、こういう根気よい展望をもって汽罐車製造工場を見、それと結びついてはいなかった。キルションの場合にも見られるような生産場面に対する過去の作家のややその場かぎりの題材あさりの態度、及び、現在の作家と生産との結びつきの無統制から、作品活動は、その成果において十分プロレタリアの世界観に立ってのリアリズムにまで到達していない。
 そこで、文学作品の組織的生産という考えが一部の人々によってもち出されたのであった。
 主張の要点は大体次のようであった。
 作家は、一層労働者生活の現実に即し、文学におけるプロレタリア・リアリズムのために各産業別に組織されるべきだ、そして、一年に、どの産業では最少限何篇の小説、戯曲を、どの産業では散文、詩、各何篇という風に計画的に製作したらどうか。この場合重点は、ソヴェトの生産経済計画に従って、或る特定産業の上におかれる。
 五ヵ年計画に結びつけて具体的に見ると、大体の文学的重点は、五ヵ年計画がそれを基
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