小市民をふくむ一般勤労者の文学とどうちがい、どのような方向をもつべきかということが明瞭にされなければならなかった。ところが、文学の領野にも、戦禍はまざまざとしていた。当時はプロレタリア作家として歴史的な存在意義をもつ小林多喜二を否定的に評価する傾向とたたかうことが『新日本文学』の一つの主な任務であった。また一般的にはそのころの『近代文学』が主張していた個人の自我の確立の提唱と民主主義にさえも示される政治不信の気分を、正常な社会と文学の関係への認識におき直す仕事があった。したがって、この時期、文学と政治の問題は、十数年以前の昔にさえさかのぼって、文学における政治の優位についての理解から語り出さなければならない有様だった。そして、働く人の間から生れる作品は、題材も主題も働く人々の生活から湧いたものであっても、当時の大規模に展開されつつある労働者階級としての動きはその作品の中につかまえられなかった。やがてこれらの職場からの作品の日常性への膠着が、注意のもとにてらし出されはじめた。もとから小説をかいていたプロレタリア文学時代からの作家たちは、何しろ十余年間、書きたく話したいテーマについて口かせをはめられていたのであったから、各人各様に、先ず書かずにいられない題材によって、云わずにいられないテーマを描きはじめた。「妻よねむれ」にしろ「私の東京地図」にしろ、「播州平野」「風知草」ことごとく、その種のモティーヴに立ち、作品の本質も戦争による人民生活の破壊、治安維持法が行って来た非人間的な抑圧への抗議であった。それぞれの角度から日本の民主革命に結びついた。「五勺の酒」はこれらの作品のなかで独特な意味と問題とをもつ作品であった。
五
労働者階級の歴史的任務の性格をひきぬいた「人民的リアリズム」の創作方法についての論が、文学サークルそのものの指導者から云い出されていたような職場の文学の空気はそのままなりに、一九四八年の後半期、中国の人民革命の勝利の見とおしとともに、日本の民主主義文学の立場からの科学的な検討や分析なしに、これまでの作品活動――徳永、宮本、佐多などをこめて――は労働者階級にとって役ないものだというようなおおざっぱな発言がおこった。
注目すべきことは、この文学的でないばかりか政治的でさえもない発言に応じて、専門文学者と職場作家との間に、一部の文化活動家とサークル員の側からの対立感情が醸成されたことである。「人民的リアリズム」論に無批判だった文学サークルの一部は、文化活動にしたがう一部の人々とともに、人民的リアリズム論者そのものをふくめて、いわゆる専門作家とその作品への無根拠な否定に従事した。一九四八年の日本民主主義文化連盟第二回「文化の会」および、ひきつづいてもたれた新日本文学会第四回大会は、この種の傾向のひとり舞台の観があった。そこでは作家・評論家によって、文化・文学について具体的な討議がされるよりも、特殊な、文化活動家と名づけられる人々の、その人たちの理解での政治的発言が圧倒した。
これは、明らかに普通でない空気であった。まじめに文化・文学の運動にしたがい、創作もして行こうとしている人々は、民主主義文化・文学運動の内をかき乱している不安、無規準、得たいのしれない政治性[#「政治性」に傍点]に影響されて、自分たちの活動の基準をどこにおいたら、たたかれないで育つことができるのかを思い迷うこころもちにもおかれた。
一九四九年に、職場の労働者作家は、ストライキをかけ、職場の作家の指導力が発揮されなければならないと云われたとき、過去二三年のうちに新しく職場から生れて来た若い作家たちのある人々は「自分がいまかきたいことと、書かなければならないこと」との間にある、実感の不調和に苦しんだ。そのひと一人一人としての労働者、および作家の成長の過程で、今すぐにもかきたいことは、労働者作家としてストライキを書かないということはあり得ないとされる「書かなければならないこと」と一致しない。ストライキの時代には、ひまがなくて、その人として書きたいと思いながら書けずにいたことを今書こうとする時間をもてば、もう一般情勢は中国革命の達成、労働者の主導的任務の強調におかれている、そのくいちがいもある。また一九四六―七年にかけて労働者階級によって経験された広汎な闘争が、前述のような戦争中の階級意識の剥奪をとりかえすために十分な政治教育が間に合わなかったために、経済主義的にならざるを得なかった。社会の生きた関係の微妙さは、一九四五年冬以後は共産党が勤労人民の合法政党として公然と存在し、組合内の党細胞の活動が自由であったけれども、一方、労働者の自主的な階級政治への認識や経験が失われているという戦後的条件と結びついて、職場の大規模な闘争は、必ず
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