学活動を行っているとき、あやまられた政治の優位性の理解は、それぞれの場面での指導の官僚化と革命の課題からの逸脱をもたらす。一九四九年において、民主主義文学者の大部分は、自分たちを一つの政治的成長におしあげずにはいられなかった。すなわち、文学における政治の優位性のあやまった発動を克服するためには、作家一人一人が日本の民主革命の課題と諸階級間の関係をはっきりつかんで、その角度からめいめいの創作を発展させ、他の人によって書かれるおびただしい種類の文学作品を評価してゆく能力をもたなければならないという現実を学んだのであった。中華人民共和国の新しい国旗の上に輝く一つの大きい星とそれをかこんで輝く四つの小さな星の美しさをよろこぶばかりではなく、日本のごたごたした社会情勢のうちに、やがて次第に輝きをましてゆくべき一つの星と四つの小さな星との文学をその正当な位地づけで認めることこそ、文学における政治の現実的な優位性であることを学んだのであった。
 このような日本の革命の課題に立って民主主義文学運動をみたとき、その小説を労働者が書いたから、革命の主力である労働者階級の文学であると決めることはまちがいであることが分る。作家の偶然の出生によって階級性を云々することの誤りは、すでにプロレタリア文学運動の初期に論議されたことであったが、こんにちから明日へかけての激しい歴史の動きの中では、世界あらゆる国々で、ファシズムと戦争挑発に抵抗を感じる進歩的な人々の階級移行がはじまっている事実が着目されなければならない。民主陣営が、その経済闘争や政治闘争の場面で、労働者、農民、小市民、中小商工業者、民族資本家までを含めた人民の統一戦線をよびかけながら、文化・文学の面に対したときだけは、小市民層の(学者、文化人、作家、芸能家その他をも含む)消極的な面だけをとりあげて叱咤、批難することがあるとすれば、ピカソをも包括する文化の民族的な線を学ぶというたてまえはどうなるだろう。小市民層は、労働者階級に奉仕することにしか使命はないとする考え方のあやまりであることも明瞭である。一つの階級が他の階級を自身の奉仕におくという考え方は、労働階級は資本家階級に奉仕すべきものであるという資本主義的な考え方の裏がえしにすぎない。どこの国でも一定の資本主義文化の発達したところでの革命的な文学運動は、常にその主力である労働者階級の社
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