人権の擁護が必要であることが把握されはじめた。世界ファシズムと戦争挑発に対する抵抗を組織することが、世界人民の歴史の課題であり、世界文学につながる日本の文学の新しい世紀の精神であることが実感されて来て、そのための実践も着手されていたのである。
したがって、出版恐慌を理由として、これらの戦後派の先輩たちがジャーナリズムの上にうけた不利――すなわち、社会的文学的発言の範囲の縮小の本質は、とりもなおさず、理性に立つ現実探求の精神の主張、国の内外のファシズムと戦争挑発に対する抗議と抵抗の削減であった。
この方法が成功したことは、一部の作家にとって、寒心すべきことでもなかったし、未来のために警戒するべきことともうけとられていない。むしろ、既成勢力の安定感として感じとられている。『群像』十二月号の創作月評座談会で、林房雄が、深刻ぶり、ということについて語っている気分、ポーズに、はっきりあらわれている。自己陶酔と独善にうるさい覚醒をもとめてやまない近代精神、理性へのよび声そのものが、この種類の作家たちには気にそまない軽蔑すべきことであるのだろう。
過去三年の間、戦争に協力したという事情から消極な生活にあった作家群が、一九四九年に入ってからは、顔をそろえてぞっくりと登場した。むかし『新潮』などの慣例であった月評座談会の形式が『文学界』その他に新しい文学行政的顔ぶれで復活した。その席では、二十世紀のこの時期に動いている世界社会の苦悩、相剋、発展へのつよい意欲とその実験にかかわる文学の、原理的な諸問題について究明される態度は全く消された。印象批評と放談のうちに、ジャーナリズムと読者とに対するある種のデモンストレーションが行われ、批評は個々人の印象批評にとどまった。よかれ、あしかれ、日本の民主主義文学の運動にふれたり、それをまともに論議したりすることは、語り手自身のファッション・ショウめいているそのような場面ではもう|流行はずれ《アウト・オブ・ファッション》の気風がつくられた。民主的評論家は沈黙し、ジャーナリズムが釣り出した新人[#「新人」に傍点]でない若い作家のための場面のゆとりは奪われた。次の戦争に利用することのできる八千五百万の人口と計算されているその日本の人民の数のうちに在りながら、野暮な詮議はどこかのひと隅へおしこんで、望月のかけるところない群々の饗宴がつづいた姿だった。
前へ
次へ
全27ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング