点付き片仮名ワ、1−7−82]ァリー夫人」にはじまる十九世紀の自然主義からロシアの批判的なリアリズムを通じてレマルクが「西部戦線異状なし」から「凱旋門」に至ったヨーロッパ――フランス、ドイツの恐ろしい三〇年間の社会と文学のいきさつを追求してみなければならないことを意味する。そして、世界の歴史と文学とはもう「凱旋門」をくぐりぬけてしまっている。そこにどんな人民の苦悩があったかは中共の女捕虜に対する日本兵の暴虐をテーマとしてかいた人こそ、よくその事実を実感しているにちがいない。
 批評家は現代文学の全体とその作家たちに切実であるべき「問題を、おこさなかったという問題」をもって一九四九年を通過せざるを得なかった。

          三

 それならば一九四九年という年は、福田恆存の概括にしたがって「知識階級の敗退」の年であったのだろうか。「かつての自然主義隆隆とまったく同様、ちょうど三年にして衰退しはじめたのであります。平林たい子のことばをもじっていえば、戦後、凱歌を奏しつつひきかえして来た知識階級は、一九四九年にいたってふたたび、そのおなじ道を旗をまいて敗走しつつあるといえます」「一九四九年の諸事件はリトマス試験紙をさしこんだかたちであります」そして、「わかったことは、かれらは赤くも青くもないという一事です。正味は、酸性でもアルカリ性でもありはしない。ただの水にすぎません。」
 この評論家の文章は、おそらく彼と同じ程度の教養[#「教養」に傍点]をもっている科学その他の専門分野の同年輩人をおどろかせる言葉だろうと思う。塩と水さえあれば、ともかく命がつなげる。人類の集落は、いつもきっとただの水のほとりにこそ原始集落をつくった。知識階級が、それをのむことが出来、それでかしぐことのできるただの水であった、というのが真実なら、むしろこんにちの日本のまじめな人たちは、それを欣快と思うだろう。ジャーナリズムの一九四九年型花形には青酸っぽい現象が少なからずあるのだから。
 労働組合のすべての人にきいてみたいと思う。一九四九年度の公安条例。九原則。人員整理、失業とのたたかい、越年資金闘争のすべては「その大部分がいかにもあいまいで、うそではないにしても、ほんとの程度がわからないといったものであります」という種類の社会現象だったろうか。二十五万人の女子大学生と男子大学生にきいてみたい。日
前へ 次へ
全27ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング