狐の姐さん
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山梔《くちなし》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二七年九月〕
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 七月○日 火曜日
 散歩。
 F子洗髪を肩に垂らしたまま出た。水瓜畑の間を通っていると、田舎の男の児、
  狐の姐さん! 化け姐さん!
と囃した。

 七月○日 水曜日
 三時過から仕度をし、T・P・W倶楽部の集りに出かけた。A新聞の竹中さんとP夫人の肝煎り。七八人。P夫人は日本に十六年もいる。劇評家。Nさんも見える。P夫人能もすきで屡々見るらしい。芝居は相当よく分り、花道の効果、または能の表徴的な美も理解しているらしいが、日本語がちっとも読めず、読まねばならぬとも感じていないらしい。それで日本の文学は云々出来ず。
 T・O夫人、山梔《くちなし》のボタン・フラワ。白駝鳥の飾羽毛つきの帽。飽くまで英国――一九〇〇年代――中流人だ。識ろうとする欲求によってではなく、社交上の情勢によって、顔役として坐っていた。
○アングロサクソン人の、ロシア及ドイツに対する無智な偏見。
○イギリスとアメリカの短篇小説の違い、主としてテクニック上より。
 東京会館で夕飯。お濠の景色。日本風なすき焼部屋。ミスが、面白い変化物語と、アナトール・フランス風の話をした。変化物語、なかなか日本の土俗史的考証が細かで、一寸秋成じみた着想もあり、面白かった。
 九時過Nさんと自動車で、自分林町へ廻る。離れにKと寝る。いろいろ話し、若い男がひとの妻君に対する心持など、感ずるところが多かった。
 ――自分の妻君にされちゃ厭だと思うことは、ひとの奥さんにも仕ないのが本当だろう――
 幾分警告的な意味で云ったが、嫉妬ということが、不図これまでの心持と違った角度から感じられた。「人間には嫉妬の本能がある」いつからか一般人の知識にこんな文句が入り込んで、その固定観念で自繩自縛に陥っている、そんな気がした。所有欲は本能だというのも同じだ。

 七月○日 月曜日
 暑し。
 Yの発起で芝浦のお台場を見物に行く。芝浦から日覆いをかけた発動和船。海上にポツリと浮いたお台場、青草、太陽に照っている休息所の小さなテント。此方ではカフェー・パリスと赤旗がひらひらしている。市民の遊覧、ルウソーの絵の感じであった。陽気で愛らし
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