が山の懐に消え込んだように見えた。次第に目が闇になれると、ルスタムは、ツラン方に光る篝火の、すべての遠近を区別出来るようになった。一つのかなり大きい燃火は、どうも太陽のあるうち、見たあの大天幕の前あたりで燃えているらしい。ルスタムは、自分で心付かない、必要以上の緊張でよくよくその点を凝視した。彼は、目に見えない生きものが、心臓の中で微かにひくひくと身動きしたような気がした。確にその篝はあの天幕の近くで、瞳を凝すと、天幕の斜面の一部分がその明りに照り出されているのも見わけられるのだ。
ルスタムは、ぶらぶら歩きながら、幾度となくその方を眺めた。一度眼が其方に向くと、容易に引はなされなかった。明りはルスタムの心に、だんだん光明を増し、誘惑の力を増した。全く、ルスタムはその篝火の色や、静かに反映している天幕の面を視ると、もっと近くもっとよく其処にいる者、あの兜の男を見極めたい慾望が、制し難く募って来るのを感じた。ひっそりした天地の間に輝くその光は、時々ぱっと揺れ、燃え立ちながら、溢れるような囁きで、「一寸今の間に、よい時ではないか。来て覗け!」と誘っているようにさえ思われる。ルスタムは、何か巨大な磁石で自分の体の其方に向っている半面が、ぐいぐい引きつけられるような危さを感じた。
彼は、それに抵抗しようとするように、努めて、其方に背を向けた。そして、四五間元来た方に引返えしかけた。が、彼はぴたりと立停った。闇に浮き上って見える纏布の頭を重く垂れて、何か考えた。――再びルスタムは、ツランの陣に向って立った。彼は、せかない足どりで、最前線に燃火を囲んでいる哨兵の一団のところへ行った。彼は、其処で一本の軍用棍棒を借りた。それを持ってルスタムは、誰の眼にもふれない曠野の真中に出て行った。イラン軍の篝火もかなり遠く見える処まで来ると、ルスタムは、星明りに眠い陰気な陰翳を落している一つの叢を見つけた。彼はその傍に胡座を組んだ。そして、頭の纏布をはずし始めた。彼は、それを手早く解き、平の兵卒風に脳天を露出させて巻きなおし一方の端を頬に触るる位垂した。次に上衣を上から帯で締めた。フェルトの長靴をはいた足拵えをしなおした。すっかりすむと、ルスタムは、立上り、ツランの真似をした衣服や纏布の工合を試すため、幾度も腕を上下して見、頭を振って見た、何処もちゃんとしていた。
ルスタムは、地面におい
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