の翼のはずれでは、六七人の男が坐り、白い纏布をうつむけ、調子よく体を動かしては、武器の手入れや、新しい弦の張工合をすかして見ている。
遠く家畜小屋の附近では、活溌な猟犬の吠え声が聞えた。強い羽ばたきの音を立てて、ぱっと何処かの軒から鳩が翔《と》び立つ。
不規則な点滴の音や、溶け始めた泥濘に滲みながら鋭く日に燦《かがや》く残雪の色などは、皆、軟かな雲一つない青空の円天井に吸い込まれ、また軈《やが》て、滋味に富んだ陽春の光線となって、天からふりそそいで来るかと思われる。
然し、スーラーブは、その晴やかな外景を、至極、恬淡《てんたん》な、放心した状態でながめた。
黙って働いている人間の姿も、陽炎《かげろう》でちらつく広場の様子も、何かひどく自分とは無関係な、よそよそしいものに感じられる。
一心籠めて考えなければならないことがある。――しかも、その考えなければならないのは何なのか、はっきり当がつかず、徒らに不安を感じるという、落付かない心持になるのだ。スーラーブは、やや暫く、歩廊の石畳の上を、往ったり来たりしたが、気を鎮めるに何のかいもないと知ると、歩をかえして、内房を出た。スーラーブは十九年の間隠されていた父の名を知ることが、これ程の動顛を齎すものとは知らなかった。
二
ツランでは、男の子が生れると満七歳になる迄、母の内房でばかり育てられることになっている。スーラーブも、七度目の祝の日が来る迄、自分の囲りに、女ばかりを見て育った。大きくなってからでも、彼は、よくその時代の追憶を、朦朧《もうろう》と、一種神秘的な色彩を添て思い出した。今見る内房とは、まるで違うように思われる、少し薄暗い、静かな、好い匂いの漂っていた奥の部屋。朝から晩まで、その中で、小さい自分の相手になって、玉を転したり、笑ったり、時には腹を擽ったりした、白い手の、大きい金の耳輪を下げた、母とは違う若い女房の、悠《ゆっ》くりした腰袴の裾につらまって、始めて、歩廊の淡雪を踏んだときの驚き。
七年目の誕生日が来た朝、スーラーブは、初めて青々と剃った小さい頭に、赤い条入りの絹の纏布を巻きつけられた。そして、腰に宝石入の幅狭帯と、短剣とを吊った。
仕度が調うと、内房じゅうの女が一人一人彼に祝福を与え、内房の外仕切りの垂帳の処まで送って出た。外には、男の家臣が、迎えに来ている。スーラ
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