ぷりして、刺戟がなくて、たのしめるもの」(東京新聞)として数十万部をうりつくしていると語られている。ある種の人々は、日本の現代文学を植民地化される人民の日常生活のふち飾りと化して、現実の生活では見たこともないのびやかな生活の語られる白昼夢のようなものにしてしまうことをいとっていない。むしろそれに拍車をかけている。けれども、ここに一つ、人間の理性と文学の真実にとって、おもしろい現実がある。それは、ひごろ「細雪」の世界に随喜して、最大限のほめ言葉を惜しまない人々でも、ノーベル賞、世界平和賞のために日本から送られるべき候補作品としてはただ一人も「細雪」を推薦しなかった事実である。炬燵《こたつ》の中の雪見酒めいた文学の風情は、第二次大戦後の人類が、平和をもとめ、生活の安定をもとめてたたかっている苦痛と良心に対して、さすがにあつかましく押し出すにたえ得なかったのであった。
 この実例は、ある人々の日ごろの社会的、文学的態度の安易さがばくろされたモメントとして見るよりは、むしろ、現代文学のこの崩壊にかかわらず、やはり文学につながる理性と人間的良心のうちには、くらましきれない責任感がのこされている、という角度から観られてよいと思う。なぜなら、この一つの事実の中にも、現代文学に要求されているのは、社会性であるという確実な証拠があらわれているからである。
 三好十郎の毒舌が呟きに終り、中野好夫が沈黙するのも、現在より多く否定的な文学現象でしかあらわされていない文学の動きの中にさえ、明日の文学がよりひろい社会的実在として展開することを期待する心が働いているからである。
 民主主義文学の運動が、この四年間の活動にもかかわらず、こんにち、現代文学全般のこの危期に、必要なだけ積極的影響をもち得ないでいるということが許されるだろうか。
 一九四七年・八年・九年と、新日本文学会の批評活動は、表面からみるとたしかに下り坂を辿った。民主的な文学運動と互にかかわりあうものとして現代文学の全野に亙って作品を評価し、文学現象をしらべ系統的発展のために発言する能力は、すくなかった。けれども、これは、あながち新日本文学会の批評家・評論家が全く無力であったということにはならない。
 一九四六・七年には日本の民主革命の目標がやや曖昧に示されていた。したがって、民主的文学の成長をたすけるために主導力たる階級の文学を
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