、現代史の、かくれた蝶つがいがひそんでいる。民衆の意志というその蝶つがいの当然な動きによって、デューイとギャラップその他の側に扉がしまって、トルーマンへのドアが開かれたのだった。

 トルーマンにしろ、デューイにしろ、大統領立候補のはじめから、互に根本的[#「根本的」に傍点]に対立する政策をもって運動を開始したのでなかったことは、われわれにも明瞭だった。ルーズヴェルトの時代、同じ民主党に属していても保守的な南部諸州の見解をおもんばかって副大統領とされていたトルーマンはもとより共和党と同じブルジョア政党の立場だから、独自の政綱というものはなかった。ルーズヴェルト未亡人が、トルーマンを支持しないという声明を出して、それが日本の新聞にも出るころから、デューイの元気そうな笑顔が世界の隅々まで流れひろがった。だけれども、ほんとに平和と民族の自立を渇望している世界の人々のこころは、不安を感じていた。アメリカの正直な人々が自身の名誉ある民主主義の伝統を守るどのような能力を示すだろうかということに絶大の関心をもった。もしアメリカがその巨大な存在において民主性を喪ったなら、その腐敗は本質的にアメリカの社会の崩壊であるし、したがって世界の最大な不幸の一つとなることは明らかであったから、アメリカの労働組合の選挙委員会でも、無政策な候補者やハイボールの泡から生れたような候補者へ投票するようなむだ[#「むだ」に傍点]が許される時期ではないと演説された。(『シカゴ新報』)
 ウォーレスの新党が進歩党と名づけられ、むだなかけひきは一切ぬきに世界平和と民主主義推進の綱領を正面にかかげて立候補したとき、あいまいに立ちこめた雲がさけて、ひとすじのつよい明るい光が射出した感じを受けたのは、わたしたちだけではなかったろう。ウォーレスの進歩党は、世界平和とゆたかな民主生活の確立を基本的な要求として主張した。そのための強国間の協力、原子爆弾の禁止、人種的差別の撤廃、マーシャル・プランの廃止、植民地住民の自治原則確立、日独に対する講和促進と占領軍の撤退、中国における民主的連立政権の樹立、タフト・ハートレー法の撤廃、非米委員会活動の廃止、基本産業の国有化と時給一ドル最低賃銀制の確立。ここには第一次大戦後の世界デモクラシー時代から提唱されていまだに未解決な課題が再びとりあげられているとともに、アメリカを民主国家として知る世界のすべての人にとって、それが存在し得ていることを不審に思わせていたいくつかの民主的と見えない法規への廃止と独占資本の害悪に反対する主張が示されている。
 ウォーレスは、保守勢力がその意外におどろいたほど広範な層の同感を集めた。在米の日本人二世の間にも進歩党支部がつくられはじめた。その看板をかかげず、投票権はもたないけれど平和と民主を愛する世界各国の人々の心の一隅に進歩党の支部はその場所を発見したのだった。民主党のトルーマンにも共和党のデューイにも進歩党の政策がないということが共通した政策である、と批判されていたとき、ウォーレスの進歩党はアメリカの人々に、論議に価する綱領を示した。
 ウォーレスの選挙演説に加えられた妨害はひどくて、トルーマンが大統領として、妨害禁止のための声明を発しなければならなかった。妨害を行った二人の被告が、検事から「罰として労役に服すか、ヴォルテールの言葉を一人は五百遍、一人は三百遍書きうつすか」ときかれて、ヴォルテールの言葉を写す方を選んだエピソードも生れた。彼等が幾百ぺんかかきうつしたヴォルテールの言葉というのは次の文句であった。「わたしは君の意見に全く反対である。けれども君がそれを話すという権利は飽くまでも守るであろう。」
 選挙の最後の二週間に、トルーマンは彼を制約しつづけた南部への気がねをふりすて、民主精神に反した第八十議会の失敗を明瞭に指摘しはじめた、と日本の新聞は報じている。所得税の問題、物価問題、人種問題などを漠然ととりあげていたトルーマンは、今やタフト・ハートレー法の非民主性について演説し、世界ファシズムに反対し、強国間の協力の可能について言及しなければならなくなった。ウォーレスの政策の一部をトルーマンの演説の中にとりいれなければならなくなり、そのことによって、民衆の同意を求めなければならなくなった。
 ウォーレスに投票された百十万票は、現代の歴史を正常に発展させるために無限の価値をもっている。トルーマンがブルジョア政党である民主党に属していることには、何のかわりもない。その政党の議員の或るものはタフト・ハートレー法を通過させ、黒人に市民権を与えることについて反対しつつあるその民主党選出の大統領となるためには、トルーマンもウォーレスが正当に主張した、人民の意志を代表する民主的綱領にいくらか近づかなければならなかった。このことにこそ、人民の要求のごまかすことのできない力が示された。トルーマンが公約した民主的政策が実現されるか、それともブルジョア政党らしいジェスチュアに終るかということに対して注目し監視しているのは、アメリカの民衆ばかりではないのである。
 このたびの大統領選挙が世界の視聴を集めたのは、デューイとトルーマンとのたたかいにおいて、アメリカ民衆の民主的な意志と、世界の平和的善意、理性とがどう反映するか、そこが見ものであるからだった。重大さはそのことにあったにもかかわらず、日本では天下りに共和党デューイ個人の当選確実があんなにも注入され宣伝された。このことも日本のわたしたちにとっては忘れられない。

 一九四六年の二月ごろであったろうか。婦人民主クラブが第一回の創立大会をひらいた。会場である共立講堂へニュースのライトが輝いたらしく、派手な空気は、わたしをおどろかした。婦人民主クラブの成立に関係をもった幾人かの婦人が話をした。加藤シズエ夫人もその一人だった。もうそのころ立候補がきまっていた夫人は、婦人と政治的自覚について話し、彼女の見たアメリカの選挙を手本とした。民主的な議会政治では議席を多くしめる政党が政策を実現できる。どんなに立派な政策をもっている政党でも議員が少数では、何も実現しない。彼女がアメリカにいたとき行われた選挙で、ある一人の学者が中立で立候補し、その人格と政策は多くの人の信頼をあつめていたが、彼女の周囲のアメリカ人はその人に投票しなかった。何故かときいたらば、議会内での少数では無意味という根拠から、民主党か共和党かへ投票する、という答えだった。夫人の結論は、民主的政治の実際というものはこういうものだから、日本の婦人はよく自覚して、議会で多数を占める可能性のある政党の候補者に投票すべきであるというのだった。
 かたわらできいていて、わたしの心におさえがたい思いがわいた。果して婦人民主クラブは大きいだろうか。婦人民主クラブというところにあつまる婦人たちの民主的な自覚が大きいと云えるだろうか。既成の大きい[#「大きい」に傍点]力・多数の力ということを強調するならば、小さい婦人民主クラブが存在する意義はないし、わたしたち一人一人のうちにある小さな善意、小さい誠実の社会的な価値とその機能は期待されない。子供が小さいから、よく実利を発揮しないからと云って育てない親があるだろうか。小さい柿の芽生えを、それがまだ小さいから、と無視するだろうか。割りあてられた話を終っていたわたしは発言を求めて「小さいものの意味」についてのべた。政治が、わたしたちの社会的な良心と道義、そして良識の判断に土台をおいた動きである以上、明日に育つきょうの小さいものを正しく評価するということは、全く当然なことではないだろうか。政治について婦人のもたなければならない自覚をもてと云われるなら、それは、政治の事大主義に膝を折ることではなくて、小さいながらまともな種《たね》をより出して、それを成長させる地道な見とおしをもつことではなかろうか。
 ウォーレスの進歩党綱領が発表されたとき、わたしはあの日の光景を思い浮べた。そして小さいものの意義について切実に思った。日本の議会に圧倒的多数を占めて政権をもった政党が、全くその名を穢辱し、投票者たちを侮辱して公衆の目前にさらした数々のみにくさを考えながら。

 吉田首相は、新内閣を組織し、議会を再開した。しかし一般施政方針について演説しない。そのことで紛糾している。施政方針を語らないままで、公務員法案は一気にとおそうとしている。そういう妙なことは何の基盤で出来るのだろうか。吉田は腹の出来た政治家と云われている。事務的に科学的にものごとを処理する人柄よりも、ワッハッハという笑いかたで解決する東洋古風型であると云われる。
 トルーマン大統領がこんどの選挙に勝利したについて、いくつかの大新聞でトルーマン個人の人柄が、新しくとりあげられている。正直だということ、謙遜で熱心であるということ、ユーモラスで人気を集めている、ということなど。だが、トルーマンはそういう個人の人柄で当選したのではなかった。日本の新首相のように、へたぐされしてばたばたと墜ちてゆく諸政党のわきにひかえて、時期を待っていて、政権掌握をしたのでもなかった。トルーマンには民主党のタフト・ハートレー法の撤廃、人種差別の撤廃、物価引き下げ、強国間の協力推進という、明白な綱領があった。それらを要求するアメリカの大衆の意志にこたえる決意を明らかにしたからこそ、その人々の意志に支えられてトルーマンは当選した。ウォーレスの公正な政治的態度にバックされながら。そして、世界の平和と民主を欲する数千万人の注視のもとに。
 日本の新首相が施政方針演説もしないで公務員法案を押しきろうとすることは、古い政治家の厚顔な腹の力かもしれないけれども、アメリカの大統領選挙の生々しい教訓は、日本のわたしたちにも少くない分量の真実を学ばせた。自身の政策さえもたない政党が、何の指図でその国の民衆を支配できるというのだろう。輸入品目録に施政方針がまぎれこんだからといって、日本の民衆が何よりもたしかに知っているのは自身の必要である。その必要にたって投票することの意義を示された。民衆の意志が施政に方針を与えそれを変化させ、その実現を監視する力の現実をアメリカ大統領選挙は日本の数百万の人々に教えた。次の一票には、おのずから、このような人民としての国際的な経験の重みが加えられることは自然である。[#地付き]〔一九四九年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「日本評論」
   1949(昭和24)年1月特大号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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