えられた答えは一つだった。何しろ戦争中は、統計がとられなかったので、と。もちろん、戦争の間にとられた統計はあったのだ。さもなくて、どうしてすべての若い女を勤労動員し、すべての学徒の、文科学生だけを前線にかり出すことが出来たろう。献金、献金、供出、供出と強要できたろう。八月十五日が来たとき、日本じゅうに灰色の煙をたててそれらの血ぬられた統計は焼却された。
 官僚統計さえ、その多くは焼きすてられなければならなかったような日本の実状へ、新しく響く民主化の声は、世論、というものの意味を人々に知らせはじめた。人民がどんな意見を云おうにも口をふさがれていた数年がつづいた日本では、公然と自分の意見を人前で発表することさえ八月十五日以来の新習慣であった。ある一つのことについて、日本の多数の人々の意見の総和が判断の基礎となって決定される。世論調査はそういう意味をもって行われるということまでは、こんにち殆どすべての人がのみこんだ。けれども、いわゆる世論調査がどのようにして行われるか、そしてあらわれた世論調査の結果はどのように利用されつつあるか、ということについて、必要な監視を自覚している人々は、まだ決して多くない。
 つい先頃、吉田内閣ができようとしていた数日前、『毎日新聞』は、各政党支持の世論調査というものを発表した。その世論調査では、吉田総裁の民主自由党が第一位を占めていた。『毎日新聞』の発行部数は百万と二百万の間と云われている。日本では、まだ新聞とラジオは天下の真実しかつたえないものだと信じている素朴で正直な人々がどっさりある。政府のいうことなんか信用できないと云いながら、その政府に扈従《こしょう》する言論や出版をそのまま権威とする素朴さがある。あの世論調査を心ある外国人が見たら、何と感じるだろう。おそらく、日本の不幸というものの底知れぬ深さにおどろきを禁じ得ないと思う。この生活苦にあえぎ、悪税・物価高にあえぎながら、日本人の大多数がなお無条件に純然たるブルジョア政党、反民主政党を第一位に支持しているのだとすれば、その政治に対する無知と無判断なならわしは救うにかたいと悲しむにちがいない。日本の民衆が、永年の間逆宣伝によって現在でもどうやら恐ろしいもののように思いこまされている共産党をさけ、同時に従来の特権勢力の溜りである自由党もさけて、せめても、を心だのみに投票して政権を与えた日
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