はるかに人間らしさでわれわれを撃つ力をこめていた、と。これは、ただ、かくされていた神聖さを明るみに出して見たときは、それも平凡なものとなるというだけを意味することであろうか。そうは思われない。私たちが、ものをいわされず、書かされないとき、ちょうど節穴から一筋の日光がさしこむようにチラリと洩らされる正義の情、抑圧への反抗は、いわば、人々の間に暗黙のうちに契約となったいくつかの暗号のようなものであった。義太夫ずきの爺さんが、すりへったレコードの「壺坂」をきいて自分のうちにあるうたを甦らし、ひとにはききとれにくい「壺坂」を、たのしみさえしているのと似た気の毒な事情であった。
 客観すれば病的な、そういう苦しく、いとしい精神表現がたがいの癖となってしまっているとき、にわかにぱっと窓があいて、光線が一時にさしこんできたとき、火花のようだった符号を朗々とした全文に吐露しなおし、それを構成して、たちどころにそれをひろくつたえるという機動性が、身に備っていただろうか。
 半封建の野蛮がもたらしたコムプレックスの害毒は、こういう良心的であるゆえの萎縮をもたらしたばかりではない。事情が変化して、人間らしい自由を建設しようとする本性が伸張されなければならないいまになっても、しいられてできた内部抵抗の癖は、そこまで心情を脱却させないで、これを、民主主義への懐疑、政治的・芸術的良心への疑惑、人間性発展の確信への狐疑として理屈ありげに表現させている点にある。
 資本主義の生産の形が、封建の諸関係のうちから生れたように、資本主義的な生産とそれによって形づくられた社会生活全般が矛盾だらけの不如意なものとなったとき、それは必ず社会主義へ発展せざるをえないという歴史の必然については、もういまさらいわれるまでもなくわかっている。そう思っているのが知識人のほとんど全部を占めているといえよう。それと同時に、その歴史の必然性、その原理はもうとっくにわかっているのだから、くりかえして論ずるのはもう結構だ。なにか見せてくれ。なにか新しいものを啓示して、新しい情熱をふき入れてくれ。そういう他力本願の心理的要求が瀰漫している。
 より年代の若い人々の間には、また別様の求望がある。社会進化の必然という原理については理性的に十分わかった。自身の生涯の道も、それに呼応するものでしかありえないと思える。だが、その原理の理説には、なにか人間らしいゆたかな詩情が欠けている。やさしい愛と慰藉とに欠けている。その心情的な飢渇がいやされなければ、頭脳的にわかったといっても、若い命を傾けつくして生きてゆきにくい。そういう声があるのである。
 さらに、複雑な一群の人々の場合がある。今日、自分たちが麗わしい精神の純朴さで歴史の発展的面に従いきれないのが、一つのひねくれであり、日本の野蛮によって刻みつけられた傷であるのは、よくわかっている。しかし、そのひねくれによって自ら苦悩し、その傷の痛みを感じながら、そこまでなんとかして伸びようと試みている一群のあるのも、日本の現実である。この正道さは、今日の現実の中で、いいかげんな民主主義便乗者よりも正義をもつものである。そのひねくれの存在権は、世代的なものとして主張されているのである。
 これらは、すべて非常に心理的である。それらが心理的であるということに問題を生じるのは、これらの心理的な現象をとく力は、窮極においてその心理の枠内にはありえないのだという事実を、承服しようとしないところにある。個々の人が個々の心理に固執している傾きがきつすぎる。その心理によりすがって、手ばなさないことが、民主という名をもって出現した社会主義的な精神と個性との画一化への抵抗であるとさえ、誤って合理づけている人々があるのである。二様三様の心理は絡みあって、その持主たちを停頓させているばかりではない。この病的にあらわされている主我とその心理傾向は、主観において強烈でありながら、客観的には一種の無力状態であるから、より年少な世代の精神的空白をみたし、戦争によって脳髄をぬきとられた青春にその誇りをとりもどし、その人間的心持に内容づけを与えてやる、どんな精神的熱量をも放射しえないでいるのである。
 この現象は、まじめな憂慮をよびさますべきことだと思う。なかば封建の抑圧は、私たちの精神を、背丈のちぢんだ走力のよわった脚のものにしたばかりか、戦争は人間群をきりさいて、世紀の中に、いくつかの世代の層を分裂させているのである。いためつけられた主我の病癖は、当然の結果として、世界史の推移のモメントとしての時間の感覚をも客観的には把握していないのである。

 いくとおりかの例のうちで、誰の衷心にもその響にこたえるなにものかをふくんでいるのは、第二の若い人々の心情にある渇望についてである。これについて少し考えてみよう。人間社会の進展の原理が社会科学の立場から解明され、社会主義の社会、共産主義の原理が語られるとき、われわれの合理性はそれを理解し、支持しながら、そこに、なにかみたされない思いをもつというのはなぜであろうか。その間にもっとなにか瑞々しいものを、人間らしいものを、と求めるというのはどうしてだろうか。今日、荒らされ、放りだされた私たちの心情は、それほど美しさ、慰藉、愛と詩とにかつえているのは実際である。ほんとうに私たちは号令に飽きた。よくもあしくも強制にはこりた。
 だが、そもそも私たち人間がギリシアの時代からもちつたえ展開させ、神話よりついに科学として確立させたこの社会についての学問、社会科学とその究明よりもたらされる将来の構成への展望とは、人間情熱のどういう面とかかわりあったことなのであろうか。これは一片の乾いた思弁であり、闘志のつよいある種の人間たちだけの道具なのだろうか。すべての学問は、よろこびを求めてやまない人間心情を源として、そこから湧いて出ている。幸福であろうとする意欲は、人類が幸福という言葉の符号も、文字としての記号も持たなかったときから存在しつづけている。人類が社会を構成しはじめてから、それについての認識をもちはじめて以来、より幸福に、より快適に生きようとする希望から築きあげてきた成果の見事さについて、くりかえすのはほとんど愚な業である。一方において、芸術と自然科学とを幾世代にわたって花咲かせてきた人間が、社会認識の成熟する諸条件がそなわりはじめた十八世紀末から、社会を学問的探究の対象とし始めた。資本主義社会が西欧で確立した十九世紀に、その基盤としての生産関係を究明して、その矛盾とその合則の発展の過程を、共産主義社会の出現にまで追究した人間精神を、私たちは精美なものとして感じることは不可能だろうか。地上のあらゆる生物のうちで、自分たちの生き死する社会についての科学をもっているのは人間ばかりである。芸術を創り、それを愛し、宝とする能力は人類にしかないのと同じに。そこに、人間のよろこびはありえないだろうか。
 まじめに科学の仕事にたずさわり、専門的にまた世俗的にあらゆる難関とたたかっている今日の日本の科学者たちから見れば、おそらくあまり安易通俗に、全篇が物語として扱われているに相違ない映画、パストゥールを主人公とした「科学者の道」や「エールリッヒ」「キュリー夫人」などにさえ、私たちは感動し、毅然とした人間精神の美しさに詩と慰藉とを与えられた。人間が人間を生かし殺す力の媒介物たる金銭というものの魔術性をあらわにし、それが近代社会を支配する大怪物として蓄積されてゆく過程を明らかにして、人間性の勝利の実質、生産する者が生産を掌握することの自然さを示した社会科学者たちの業績と、それを実践する人々にたいして、その雄々しさと真実さと、それゆえの美を感じられないということがどうしてありうるだろう。
 愛が愛でありうるのは、それがつねに具体的であるからである。あらゆる状況に面してひるまず、その必要に応じて必ずなにかの方法を愛が見いだすのは、それが具体的であるからこそだと思う。美が美として存在するのも具体的だからこそである。空虚な空間をきって、あのおどろくべき美を創りだしている法隆寺壁画の、充実きわまりない一本の線をひきぬいて、なおあの美がなり立つと思うものはない。詩情の究極は人間への愛であり、愛は具体的で、いつも歴史のそれぞれの段階を偽りなくうつし汲みとるものであるからこそ、そこに真実と美のよりどころとなりうる。わたしたちの世紀に、どうして私たちの世紀の真と善と美とがありえないだろう。

 一九四五年の五月、地球は神々しい人間の歓呼の声にどよめいた。新聞は、それをナチズムとファシズムの完全な敗北という見出しで伝えた。世紀のよろこび、幸福、美と詩との本質は、その歓呼のうちにききとられたと思う。一言につづめていえば、私たちのこの世紀こそは、大衆とその理性の勝利、民主の世紀であることが、心から肯けたのであった。十九世紀に大芸術家、科学者、政治家を輩出させた社会の創造的可能性は、その矛盾の深まるにつれてしだいに萎靡して、二十世紀前半は、ほとんどあらゆる分野においてその解説者、末流、傍系的才能しか発芽させえなかった。十九世紀は、その興隆する資本主義社会の可能性で、偉大な人間才能を開花させたのであったが、いまやそろそろ地球をみたす人間社会により広汎な人間性を解放する民主の形態が出来て、新しい世紀の本質的に一歩発展し前進した精華が輝きだそうとしている。真に新らしい社会と文化の章がはじめられようとしている。うたの主題は、三つの民主主義と名づけられる。なぜならば、それが、現世紀の詩と美とのよりかかることのできないテーマであるから。私たちの世紀は、資本主義的な民主主義、社会主義的な民主主義、そして、おくれながらもつよく翼を羽ばたいて歴史の二行程を同時に推進する必然におかれている中国や日本などの新民主主義と、この三つの民主主義の進行が世紀の実質をなしているのであるから。

 日本は、西欧のルネッサンスを知らなかった。広大な地域をなかばアジアになかば西欧にしめるスラブ人も、イタリーや、フランスがそれを経験したようには経験しなかった。近ごろ、シェクスピアの芸術が、ルネッサンス時代における人間解放の典型としてふたたび評価されている。日本でも、近ごろ「真夏の夜の夢」が五十日間上演されて、東宝の財政をうるおした。
 興味深いものは、私たちが今日面している人間性解放の現実的諸要素の構成と、ルネッサンス芸術家としてのシェクスピアの世界での人間解放とが、どのようにたがいに似ていて、しかも絶対に異った歴史の内容によってへだてられているかという点であると思う。
 たとえば「真夏の夜の夢」が今の日本で上演される価値は、主人公たる二組の恋人たちが、アテネ市の封建的な父権に抗して郊外の森へ逃げ、貴族的な支配者の権力を妥協させて、めでたく結婚するという、意欲と行動との一致した人間性の主張にあると示されている。たしかに、それは「嫁にやられる娘」の多い日本の封建の習慣に抗議する一つの声であろう。けれども今日の若い世代にとって、恋人たちの駈落ちが、愛を主張し、その主張によって行動する解放の方法として、現実に訴える力をもっているだろうか。二人並んで勤め先から「真夏の夜の夢」を観にきていた幾組かの恋人たちの、今日の悩みと求めている解決とは、親の反対に駈け落ちしたにしても、その先の先までつけまわす食糧危機を、二人のきまった月給のうちでどう打開するか。なにより先に落付く住居はどうして見いだせるか。さらに、百万人の失業と予告されているその百万分の二に二人がなる可能についての憂慮ではなかっただろうか。ここに、今日の日本の民主主義の実状があり、その段階がある。封建的な人間性の否定に抗すると同時に、その意欲と行動との統一された表現として、歴史はすでにはっきりと、資本主義の社会の混乱と矛盾とにたいして合理的処置を主張する勤労大衆の民主的要素が正当であることを設定しているのである。
 ルネッサンス時代の人間性の主張は、疑いもなく、木偶のようであった人物を、笑
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