きさつの間に、愛の堅忍と誠実とが試みにかけられつつある。親の権威よりはるかに強く猛々しい社会不合理に面しているのである。
 その国の民主主義が社会主義の段階まで到達しているところ、そして、非条理なナチズムの専制に献身して闘ってそれを撃破しえたソヴェト同盟の文化が、シェクスピアをとりあげる場合、それはまたおのずから異っているであろう。成人したとき、人々はゆとりのあるこころもちで、自分たちの少年時代、青年時代を回想し、その自然発生する人間性がさまざまに現わされた経過を、微笑して顧み、語る。社会連帯のつよさでかえって個性が護られ、家庭や母性が確立し、勤労による財産の蓄積さえ安定されている社会で、はるかとおいルネッサンス時代に、人間が自分の人間性をどのように発揮しはじめたかということを舞台で眺めるのは、さぞや興味深いことであろう。それは、明かに今日にあっても同感される昔噺の一つである。「オセロ」を、嫉妬からデスデモーナを殺す悲劇の主人公とは見ず、相互に与えられていた信頼を裏切られた心の破局と理解することもわかる。そういう今日の共感に交えてデスデモーナのオセロにたいする封建的な屈従と畏怖とが、大
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