、意欲と行動との一致した人間性の主張にあると示されている。たしかに、それは「嫁にやられる娘」の多い日本の封建の習慣に抗議する一つの声であろう。けれども今日の若い世代にとって、恋人たちの駈落ちが、愛を主張し、その主張によって行動する解放の方法として、現実に訴える力をもっているだろうか。二人並んで勤め先から「真夏の夜の夢」を観にきていた幾組かの恋人たちの、今日の悩みと求めている解決とは、親の反対に駈け落ちしたにしても、その先の先までつけまわす食糧危機を、二人のきまった月給のうちでどう打開するか。なにより先に落付く住居はどうして見いだせるか。さらに、百万人の失業と予告されているその百万分の二に二人がなる可能についての憂慮ではなかっただろうか。ここに、今日の日本の民主主義の実状があり、その段階がある。封建的な人間性の否定に抗すると同時に、その意欲と行動との統一された表現として、歴史はすでにはっきりと、資本主義の社会の混乱と矛盾とにたいして合理的処置を主張する勤労大衆の民主的要素が正当であることを設定しているのである。
ルネッサンス時代の人間性の主張は、疑いもなく、木偶のようであった人物を、笑
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