の人達のまだ布で云えば白地の子供の時代の育まれ様によると云う事が出来ます。
 そして最も大切なのはその読み物だと云う事も出来ます。
 外国はどうだか知りませんけど日本で小供に対しての読物の注意と云う事は先まであんまり重じられていませんでした。
 十一二の子供は必して、カチカチ山、桃太郎 の御話に満足するもんでもなく、「フーン」と思うものだってありません。
 絶えず新らしい事を知り又聞く事も若いものにとっては大切な事でその事に対する欲も劇しいもんです。
 その人々に多く読まれる少女小説を改革すると云う事は今のだれでもが考える事に違いありません。
 どうしたって今の様な涙っぽい物語りはやめなければなりません。
 希臘《ギリシャ》神話的なそして又その中の人物の感情をさっぱりと単純にしたものを入れていいんです。
 多くの婦人は一人前になってからは大部分せわしい、現実の不愛嬌な顔ばかりを見て暮さなければならない様に生れついて居ます。
 せわしい中にも苦しい中にもどっかしらんにのびやかに奇麗な心のある様にするのには、何でも彼んでもを吸取紙の様に吸うその頃の頭の中におぼろげにでも奇麗な感情をつぎ注いで置くのがいいんです。
 少女小説の著者の名にあこがれて、未来の文学者と自任してなま半かなものになったりその中に描かれた都会の生活の華やかさをしたって取り返しの出来ない事をする人だって必してないじゃありません。
 少女小説に筆を染める人々は丁度大学の教授よりも、小学校の教師の方が責任が重いと同じ様に、大した作をする人々よりも一層の注意と責任と思慮が必要なんです。
 そして文筆も必して商売的でなくみっちりと重味のある考え深いしまった調子で書かなければなりません。
 健な筆で書かなければいけないんです。
 流行的な気分を打ち破って澄んだ心を表わさなければいけないんです。
 教科書よりも力のあるものだと云う事は忘れてはいけない事で、その読む人々の箇性を形ち造る一分子になる事を知らなければなりません。
 少女小説の価値がもっとあがって一つの尊い作品として批評もされる様にならなければいけないものです。
 極く楽観的なものと意志の強い立志伝的なものをまぜてそれ等のものが二十ある中に涙の出るものは六七あればいいんです。
 悲しみと云うものは世のすべてのものより勝って微妙なものですけれ共少女小説のいままでのものに表われて居るのは必して考え深い悲しみではありません。
 考えるねうちのあるだけの悲しみではありません。
 たった普通の十三四または十五六の娘が必して尊い悲し味を味う事はしないものです。
 若い子供達が悲し味を多く知ると云う事は私に云わせればいかにもいたましい事で又どうにかしてそうであらせたくないんです。
 私は少女小説と云うものについて随分いろいろの事を考えて居ますけれ共又私の性質からそれに没頭してそのためにつくすと云う事は出来ません。
 世の中にありあまるほどいらっしゃる少女小説の作者に申します。
 失礼な申し分かも知れませんが若い娘共に只悲し味と云うものばかりほか注ぎ込んで下さらないのなら、どうぞ筆をお持ちになることをやめて下さいまし。
 若しつくそうと思って居て下さる方々へはどうぞ価値のある力強い、美術的な又芸術的な、一つの或る馬鹿に出来ないものである少女小説をお出し下さい。
 私は今の少女小説は、悲しみの毒虫と云います。
 少しでも改革され、少しでも立派なものになるまで私はあくまで悲しみの毒虫と云いましょう。



底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※底本解題の著者、大森寿恵子が、1914(大正3)年4月24日執筆と推定する習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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