表しているのはイギリスの学者であった。
わたしはそのニュースに目をこらした。そしてだんだん体のこわばって行く感じだった。夫婦の間に赤ちゃんを遊ばせてあんなに楽しそうにほほ笑んでいた王女エリザベスは、このニュースが世界に流布されたことを知っているだろうか。あどけなくおさないチャールズの命と、そのすこやかな成長を願わずにいないだろう母の思いと、すべての人類を醜い不具にして死滅させる兵器の発見という宣伝との間には、ほとんど信じられないほどの残酷さがある。若い親たちと赤ン坊とのあの家族写真には見えない空のどこかに、その残酷さが、禿鷹のように舞っているのだろうか。
八月一日の『ニュース・ウィーク』には、はからずも王女エリザベスの二つの表情がのせられている。その一つは、涼しい夏別荘の芝生で無邪気に家族が団欒しているあの家族写真。もう一枚は閲兵式場の王女エリザベスの姿である。こちらの方は『ニュース・ウィーク』の投書欄にのっている。テキサスのトム・エフ・マンデン(姓名のあとに二世とつけているから、マーシャルというテキサスのその市でのマンデン家は、社会的に何かの意味をもっているのだろう)という人が七月十八日の『ニュース・ウィーク』にのったこの閲兵式の写真について、手紙をよこしているのだった。トム・マンデン氏は、そのエリザベス王女の写真が口の中にいやなあと味をのこした、と書いている。「仮装平時閲兵のために、暑気あたりに苦しんでそこに卒倒した不幸な若い婦人をそのまま放っておくほど、大英国の軍規はきびしいのだろうか」
すっきりとした初夏の服装で、大きめのハンド・バッグを左腕にかけ、婦人兵士の最後の列の閲兵を終ろうとしている王女エリザベスの目の下に、一人の婦人兵士が直立不動で立っていたその地点から足をはなさないまま、失神して仰向けに倒れている。白手袋をはめたエリザベスの両手は、ショックにたえている表情でかたく握りあわされ、おのずと倒れている同性に視線の注がれている彼女の顔じゅうには、そのような事態を遺憾とするまじめさがたたえられている。しかし、閲兵する王女としての足どりは乱れず、倒れている女性を寸刻も早く救うために、どんな合図の身ぶりも示されていないのである。そのスナップには「写真班は、救急班の到着を待ちかねた」という意味のスクリプトがついている。
王女の生活の公式の面と私的な面とは
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング