本にも生れた合理主義的な傾向、他人の考えが自分の考えと違うからと云ってそれは当り前のことと理解する自由主義の傾向、更に、歴史の進展は抑え難い必然であるとみて、その動因を社会の生産諸関係の推移、その矛盾のうちに見ようとする民主的傾向、それらは、本来において、社会に対する認識の表現であるから、まぎれもなく公的なものであるにかかわらず、「滅すべき私」の範疇に入れられることとなった。そして、「日本のため」或は「天皇のため」にということが、すべての私を滅した一億人民の公的な生存意義とされたのであった。
日本の個人主義は、よきにつけ、あしきにつけ、未発達のまま、第二次世界大戦、太平洋戦争に突入してしまった。そのため、一個人としての自主的な判断力が、どの個人の能力の中にあっても薄弱であった。薄弱な客観的判断力を、津浪のような軍事的強権で押し流して、その人々の考える「公的」なものの中へ、人民生活の全面を集注させたのであった。
世界連帯のひろやかな展望から見て、旧い領土問題から出発した「日本のため」という観念が、どんなに狭い限界をもつのであるか、今日判断をあやまるものはないと思う。世界人類の福祉という公的な観念と対比すれば、日本の軍閥の意味した「日本のため」が、私的な性質を帯びたものであったことを、今日否定する人はないであろう。
第一歩で、とりちがえて提出された、日本における公私の逆立ちは、戦争が進むにつれ次第に深刻な具体性をもって来た。
例えば、遠い大洋をへだてたあちこちの島々に、守備としてのこされた一団の兵士たちは、どういう経験をしただろう。食糧事情で恐るべき経験をしている。しかし、ただ、食うものがない辛苦をしのいだだけであったなら、それがどんなに酷かったにしろこれらの不幸な兵士たちは、まだ、人間として生きてゆく精髄的なよりどころは失わないですんだであろう。食糧事情に絡んで、或る場所では、人々をおどろかした残忍な暴力がふるわれた。そして、それは、日本兵の悪虐として語られた。だが、彼等が、食うものがないからと云って、子供に対して非人間的な残虐に立ち到った、その心理の根底には、単なる飢えにたけりたったとはちがった、何か、云うに云えない心の廃墟があったのではなかろうか。つまりより飢えなかったとき、既に畜生道に陥る精神の破局が用意されていたのではなかったろうか。
私どもは、何々
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